2010年6月16日

財政源のありか

日銀の債権を完全国有化し、郵政改革をこの領域へひきこむ中で政府の実質的に利用できる財政所得を便宜上増大させるべき。
この説明が回りくどいなら、単純に言って『国立銀行系の金融預金を政策用に援用する』知恵が、現時点での有効需要の促しの財源としては最も合理。もっと有り体にいえば、政府が世話してきた銀行の残高は公有物であるとみたててしまうのがいい。

こういう政策態度は、おそらくアジア圏での経済的没落の危機感のない「欧米偏重」型の自由思想家には理解不能だろう。しかし、日本が戦後とも特殊条件下にあったのは、はじめから日本の高度成長には(近代化が実質的恐怖政治による官から起きた運動だったことで)公共投資の前提があったことによる。
それはアメリカでは後発した知恵なので金融の自由化(金利操作を含む財産私有化の放任)こそ流動性の為に最良だと思われているのだが、儒教的・農耕民的風土にあっては、大多数の市民は貯蓄性向がつよすぎるので、端から公共事業を前置きにしないと殆どの貯金は固定資産化するに終わり、富裕層の節税対策に猶予をあたえてしまう結果になる。
 日本の場合は、金融体制の大幅自由化はかなり遅れてしか実現できなそうだ。もしこれを慌てて行うと、格差社会を言い分にして社民主義系の躍進があっという間に起き大多数の勤労者は、少数のただ乗り層(主に女権論の狐の皮をかぶった社会主義者ら)のために将来世代が負担する国家内税収前借りというたちのよくない損害を被る。

なお海外へ預金先が流出するという危惧を持ち出す者は、税収という形の身のある残高ではなく、預金の実用的還流という意味が銀行業の収支勘定で理解できていない。
つまり、経済学的には「虚数の収支」を金融業の国有視で導入するを得る考えなので、既存のケインズ級の文脈を米英現代の財政知識だけで説明しようとする所に誤りがある。