2010年6月16日

生態多様さの批判

多様性が即生存確率の保証という理由は必ずしも真でない。進化一般に対して競争の果たす役割は、消費順位でより複合された生態が他のそれより適応形質面で可塑性が高いという細胞間協調の程度にある。延長された表現形といわれる文化素で、更に自らの形質は自然状態でなせる恒常さの限度を広げる。確率と競争の間で取引される生存益は恐らく等値化されえる。
 多様さは、繁雑だが全ての万能な指標となるべき生存価値でもない。その繁りは遺伝子資源量と目され、対してより消費の階梯を高く登りつめた生態に纏われた建築面での多様さか複雑さは、文化素の質を築く。いわば文化素質は生態系のある段階で発明された生存益の可逆化理念。これらの関連は、遺伝子流路の多岐が文化面での脇道を通ってさえ何れ理由になるともしらせる。つまり文化素質の合目的さか選良さは顕性化された遺伝子資源にとって、可逆率の割合で自らの功利さを主張する面では、法則生態内での特有の適応気質。名誉感情が我々の文化素質の原型なら、この理由は縁起則一般の根本命題と同じ因果へ還る。法則生態がのぞましい功利さを原型質に求める傾向あるかぎり地球型の生命諸子は同様の原型をえり好む他ない。そして同位生態の発見に準じてすらこの気質を生態初期か生計面という発生系統により近い感情領域で維持する筈。