ナチズムが実践したのは西洋人への植民侵略だった点で、敗戦がその正当化を連合国の恣意かわがままで防いだとはいえ一つの功徳か説き伏せだったとは思える。同様に軍部独裁化した日本が、内部での藩閥寡占な腐敗政治とは別にアジア商権を自主立国ではたそうと意図したのは、少なくともその地帯で営まれだしていた植民侵略への一非西洋人からの実践的背理法に類する逆理な説明だった。つまりそれらの政権は短命だったが、西洋人覇権の奪還をめざした面で高度に行政的だった。実際、当時の連合国は特に日独の行動を押さえ付けた史実へのいいわけに、それまで主導していた無制限な絶滅型植民を諦める他なかった。
この歴史は当代の世論と別に、底流な理想がいかに政権の行動理由をつけるかを示す点で政治哲学の意義をさししめすと同時に、その危うさもあかす。この種の政治哲学は適宜択ばれ、どの時代かの理念へ転用される。そして認識すべきは、実際にここで目指された正義さは勝敗と無関係。可きの問いは行政権の内部動機づけだが決して直接の行政行為の成否と合うとは限らない。つまり道徳は群生独自の共有できる規則でしかない。歴史の結末をいえば、政権の正統さは生き残りの合理性に還る。合理性とは、ここでは理性に合うという字面の意味でも理由あるか訳あるという長期予測の正確さでもある。
合政治哲学さ、つまり政の知恵は教養密度で示された将来予想か洞察よさのみ。おそらく究極で駆け引きでの短期動向の予知も全てこの領分へ入る。正義はこの点での適切な指導の度合いにしか当たらない。