2010年6月1日

倭人の服装にみる適応類型

倭人の高校生の内女子のスカートの丈が極端に短くなる時、そして共学の高等学校だとこの割合は比較的高い様だが、その社会か社交場では肉体の魅了で何らかの適応を図ろうとする傾向がある。逆に流行のため長いスカート丈を好む時代かその教育的社会では、精神性の強調による適応が目立つ。前者は教員や共学の時はその場で社交を図らざるをえない同期の男子の高校生へ、主に視覚からの肉体の女性らしさをできるだけあらわにする行いによって、攻撃や暴力への抑制を無意識にあれ意図している。そういう女子学生は自らの服装のだらし無さで早熟化させた性行動への誘惑や犠牲とひきかえに、日頃顔をあわせざるをえない同期の男性陣から優先保護される権利を重視している。逆に、後者のロングスカートが流行した社交場では、その生殖能力のあるかめばえた未成年男女がまぜいれられる余り類のない環境での性行動への抑制が、そこで多数か優勢を占める男性集団からの優しい扱いを図るに適応的か望ましい抵抗であり、いいかえれば精神の魅了で彼らからの保護をかちとろうとする。
 これらの傾向は、早熟型社交と晩熟型社交にとってわかりやすい二つの類型を示す点で、幾らかの興味深い社会現象。過去でも、或いは渡来前ゆえスカート丈に限らず別の方式で同等の流行による社交適応があったかもしれない。又その生態は、倭人が男性陣の興味の程度に応じた自らの服装をきりかえる点でいわゆる生物学でいう誇示を人類がその文化素へも適合させている証。しかも我々にとって重要なのは、この適応は逆選好が人類社交にあって日常の証拠な事。