2010年5月17日

歴史言語学

科学用に日常言語の転用が起こるとはそれが否応なく理念語や感覚語を引かせる理由。つまり日常語彙内で科学が有用なのはこの転用の作用が用る合理的な比例の詳述か細かな言い表しの微分した程度故。結局そこで理想づけられる全ての現象は、科学用語そのものにとっての適用かあてはめと全然関係がない。そもそも言語の発明はそれが形式化された何かの象徴から起こってきた音符から象形までの表音記号でしかありえないが、というのも発声できない言語は自体で最低限でも抽象な図か絵としか呼ばれないからだが、この記号符それぞれが対応した環境、自然と社会の両面を表すものとしての現象との関係は偶有な定型さしか伴わない。つまり言葉と社交とに通して用いられる全ての音符はそれが何らかの現象との対応を慣れで得た経緯から、表現技法となった。そして脱構築が現象学の内容と重なる所はこの音素と文字の慣れ、つまり象徴界にある。何れは象徴論が待たれるし、一部の形而上学への信奉組に学へと仕立てられそう。
 言語が特定の発声との文言化へ進んだ幸運は、主にそれが記録に適した形へ変換できる面にあった。物語からの伝承に依存してきた知識体系が、強く可逆化された形で保たれ得る中で人類は過去の経験が注釈できる範囲で全ての伝達を可能にしていった。この為に、専用か汎用の知識階級を設ける社会ではその独占や高い占有率で民衆の支配へ文を利用しようとした。しかしこの系統は、広い啓発を実現できた社会との競争では奴隷の戦闘員への転化がうまくいかなかったが故かなり不利でなくば虐殺か隷奴化で駆逐されてしまって今日迄有効に存続していない。もしここへ例外がみつかるならそれはきわめて隔離された僻地で、いかなる他所で普き社会淘汰も働かなかったから。その為、相対的に異様な性質やその超希少化がみられる点で文法の奇妙さは他の地域よりつよく進み、そこでの民俗を風習や解釈面で全く他地域とはことなった体系の元にまとめているだろう。