2010年5月25日

社会生態学

感情が偶有さへの適応、として単なる理知とは異なる領域で淘汰されえた形質なら、我々は野生環境では現代以上に遇有な機会で試行錯誤しているしかない。現代へこの形質が転用されるとして、我々は理知より劣った能力と思うその根拠を、何らかの社交的偶有さへの適応へ覚える可能性が高い。つまりこの形質は機会淘汰な確率適応として、再生産適所な開放場で特徴づけられ易かった。感情の消滅自体は、社交的偶有さの減退へ依る。野生環境がへるとこの特徴そのものが変形をうける。主に感情は、学習か知能行動への偏りを避けるそれらの中間に位置した直感行動からの規制。感情がこの両方の統合なのは、野生種と文明種の比較で幼生初期を除いて益々ちがう行動へ導かれるので分かる。
 誇示の様式か形質と感情を捉えれば、他の全生態と有性生殖内で同じ法則下に、その能力が如何に特徴づけられるかが分かる。洞察は遠くの現象として群れの中での位置づけへ転用され易いかも。対して試行錯誤による学習はそれらを組み替えるのに都合よい。ある集団規模以上で感情が洗練されるには、それらからの条件づけが必要。この場で合的か合目的なふるまいが択ばれるなら、集団規模にとって最も直感から正しい系列の行動が常に確率上優位になる様えらび抜かれる筈。しかし増産せねば危うい程に何らかの形質の不足が目立たない、種の流入や流動で平坦な適所では感情一般は、社交文化上により定例化され易く、そこでの表現できう形質も多彩さ面から少なくなりつくだろう。礼儀や儀式などそこでの特殊な直感類型は、集めの定義に倣って大幅に可変ながら定式られがちだろう。その方が合理に特定の通過儀礼後の望む形質を選抜し易いから。そして形質省力の法則の為より整理された直感類型はつづく世代ではより折り畳まれ習性から本能へ還る傾向があるので、この合理な択びはえり好みの正の側面を示す種、即ち社交能力で形質面に場所柄優位な種を素早く自らの血統へ織り込む。ここには感情の機会選択かそれを含めた運命選択的要素が介在している。つまり形質の浮動から、ある定型な習性への誇示面での優劣を選りすぐるのが感情と呼ばれるどっちつかずの行動系列への淘汰。かつ浮動な環境誘因が残る全ての生態適所でこの発情界への系統は保存されるだろう。
 きわめて変形か進化した性選択の形式内でこの側面は覆い隠される割合が多くなるかも。偶有さの定義が場をとりまく適応規制のため変化する程そうなる。性特徴への情報量は主観原則を考慮にした感覚についての珍しさを原因とし、誇示形式への審美さに関する超中庸性も同様に理解可。つまり感情からの性選択は一般に審美淘汰をその種の系列で図らせたがる規制であり、主に確率からの特徴な形質についてそうされる。どう風変わりでもこの行動が比べて弱い場合その種は場で保存されえなかった。故決定因としての性選択は基本に、特に有性生殖一般で雌からのものに違いない。もし雄へこの形質が伝わろうとその強められた発揮は、同系配列の希少化へ誘なわれ易く、本来の選択さを十分に保てない。いわば転用の装置として、単なる情緒や感性の様な学習と知能行動の両面からの規制が入りこまない中間選好の理由は危さへの回避に、強調の条件を設けた。従って感情一般は、特に雄性での転用から理解できる。即ちその社交な地位か優位が同血統のどこかで本来の雌性へもどった時その審美選択は可能な理由へ競争条件を挙げたがる。こうすれば負担理論の合理さが一層の個種の利己系と合致すると分かる。弱められた競争下ではその形質の大幅な優位は審美的には見えないだろうから。
 誇示形式の反復は、宗教観を抜きにして業と呼べる。どの生態も、仮に有性系列を維持していればそのあわいに雌雄へ別れた業の誇示社交さが見つかる。我々はこれを社会性として観察する。