2010年5月10日

東京故事

賢い振りしつつ猥談を売るのが特徴な京都土人が威張りまくる関西圏で、君は好色な倭の世界観を見た。要するにそれは獣類の道だった。あづま下りと奴らは言い、東国風物を暗に侮っていた。しかし江戸を除けば、気が狂ったみたいな好色人種は少ない場所だ。どちらが高尚なのだろう。
 昔、この土地は彼ら京都の公家が鹿児島と山口の裏切り者と組んで暴力ずくで踏みにじられた。多くの侍はそれを固唾をのんで見た。いうまでもないが江戸の庶民はええじゃないかと踊っていたのだが。今でも変わらない。漫画を読んで暮らすどうでもいい位の下卑た江戸っ子を、京都のひとは東国の世界観のすべてだと思い込んだ。それで、あづま下りと言うのだろう。実際に嫌になる様な世界はどこまでも連なっている。公家は己の出自に驕り次々てしなをかえ誘惑と淫蕩を続けるし、東国はそいつらどう仕様もない人間をひきつれてきた勘違いした薩長人によってぐちゃぐちゃにされていった。僕は小さな世界から宇宙の外を見渡す。
 この小さな島国で起きた一部始終は本当に下らないし、あづま下りといいながらその発狂した人格どもは平和な光景を本当にきもちわるくなる銭儲け芸者の魔法でぬりこめたのだ。

 この文章の中身を理解できる者は、西日本側からきた人々がみなどうしようもないほど腐っていたことをよく憶えていてほしい。それは事実だったし現にそうなのだ。江戸っ子は判断力が十分ではないから、このことは他の観察者に伝えるしかない。