2010年5月10日

倭風の省察

倭人の仕事への偏執狂式な固執か仕事熱狂は彼らの過半が儒教や仏教の思想を和を以て貴しと為す農耕奴隷なくらしへの適応へ往時の支配者から命じられてきたから。倭人は自由を好まないばかりか排斥や侮蔑する。そしていかに自分達が奴隷として有能かを声高に自慢しまくる。つまり(GHQが判断した通り)彼ら倭人は奴隷民族でしかない。その娯楽は殆どの庶民層で陸でもない賭博や淫蕩への低落した態度であり、学芸は彼らの殆どにとって及びもつかないどころか変人の代名詞として虐げの対象にすらなる。
 要するに奴隷としては有能で、実際奴らにはつねに性奴隷という専用の商売がはびこっているのだが、その劣悪な理性と情緒に堕する亜細亜風の低級な育ちの為に真の宗教の力で風紀を一新することさえできない。神道という邪な土着した狂信の宗派が全本土を覆い尽くしているのは絶望すべき状況だ。倭人を鏖にすべき、という昔のアメリカ人世論の一部にあった見解は上述の分析からも明らかに思う。実際、奴隷はそういう扱いしかもたされえない。用済みになれば処分していいのが本来だった筈。さもなくば隔離か付き合うべきでない異国化できねばならない。

 倭人にとって近代化を理由なき模倣で果たしたという明治維新以来の決定的な過ちは既に過半の風土ではとりかえしのつかない遠回りになっているかもしれない。彼らは商売としての生活しかほぼ理解できない。学問を幼い頃から仕込まれる理由は企業奴隷のくらしへ順応する為だけで、それ以外のくらしは奴らには蔑みの対象。
 理性を倭人は望まない。原始人の如く商売と再生産をつづけるしかできず、それをくりかえしたくて見た目だけの近代化を択んだらしい。結論からいえばこういう人種へは教育による習性の変形は、世代が一掃されても殆ど無理に近い。結局別の習性をもつ人種、主に彼らより優れている点では英米系を主とした西洋出自の達だろうが、そういう人種を大量に倭人の中へ呼び込んで既存の風習を駆逐させるのが最もよい。つまり「意図した自己植民」。他の方法は奴隷化に適応している祖先種からの業の延長がある限り、自由の意義についてさえ理解が思い及ばない奴らの過半には全く通用しないだろう。