2010年5月3日

関の分析

中世さをより長く引く関西文化への軽蔑はある種の知識層にとって「手段」だろうと生物学上の真な優生論とも言いづらい。江戸時代からのその流入度は、関東の一部も殆ど関西圏と変わらない風土に近づけていきつつある。実際、東京でも関西人の一部が生活できるのがその証。
 現時点での実証できた知識として、遺伝形質以外は生後獲得される。
 もし関西での好色や女々しさの奨励等の風土が中世の平安文化以来の波残りなら、江戸時代にもそれと対比できる独特の文化が江戸の一部には栄えた。これらは西洋文明の到来以前に確立された風俗だったが故、今日の目からみれば誠に不条理が多い。しかし現時点でも文化の伝承そのものは一定の特徴ある生活圏に残存しているらしい事実もある。要するに、関西人が生まれつき好色、逆に彼らからみて関東人は生まれつき粗野といったかなり偏見の入った雑な議論は生物学識を軽視している。もし文化がそこでの淘汰誘因なら、これらの傾向をもつ形質が僅かな偏差で別の地域とは違う割合で含まれるかもしれないが、実際には交配不可能なほど大幅に種が離れてしまっているのではない。陸続きである交通できる適所間には遺伝的隔離は起きづらい。一方、関というかつての政治的に確実な民衆移動の妨げは、少なくとも数百年の生殖隔離の環境を用意した。
 結局、生得な遺伝形質への微差は文化の批評よりも高級な知的態度ではない。もし関西の子孫と関東の子孫を生まれてすぐに親から隔離し、旧世代の伝承した文化と全く触れ得ない条件下で育てればその違いは殆ど遺伝された観測で許容できる形質間の枠内に納まる筈だろう。より精密には、再生産率志向がもし脳幹の誇大または女性化の進んだ形質として脳容積に対する新皮質の発達不全を意味するなら、商業化の伝統的な土地柄ではおそらくその傾向は何らかの抑制が働いた地域でよりも特徴化され易い可能性がある。
 淘汰にかけた時代としての時間と文化の波及が広く及んだ意味で、関西圏では芸者風の女性らしさを貴ぶ中に明らかに他の地域よりも発情期の早い早熟な行動傾向をもつ人間が比較的多いという、飽くまで目測があるのだが、これは科学というよりは将来の統計に待つ素朴な観察に過ぎない。嘗て江戸とよばれていた地域の一部でも現にかなりは似た傾向がある様で、過密化に伴う趨勢なのかもしれないし、他地域との漸次な交配で進む形質の大幅なばらつきは関西圏での好色奨励の文化的後押しに逆らう場合偏差を乗り越えるかもしれず、実際、私自身が会った幾らかの関西出身の人々がこの点でやはり似ていたことがあるとしても猶そうだろうから。