2010年3月27日

自律の抽出

神とは最高の主観。この仮定を理性に定義したのはカント的転回の上で、世界市民と個人の主観を公私の逆説と考えた一人だった。この立場は観想の自律を、普遍信仰の立場と一致させる。だから公的主観は同時に客観的職業倫理を兼ねる。
 この種の分別はいわゆる公私混同とは違っており、カント的転回という用語が煩雑なうえ学を衒う感じで日用へ適さないなら、これを自律心と再定義できるかも。そしてそれは自由とは意味する所が異なる。自律は職業上の立場の貫徹と、それとは離れた世界市民としての公徳とを兼ねさせる考え方。一般に、自由がこれらの混同も含むとすれば、自律は自由のおそらく上位概念か、補集合だと思われる。
(自律⊃自由)∨(自由⇔自律
最高の主観は自律心の究極に求まるだろうが、どの個性にも理解に限度があるので全知全能へは決して到らない。逆に到達不能の理想状態の比喩として全知全能、即ち神の意味はあるので、我々が自律へ求めうるのは主観の首尾一貫さだけだろう。そしてこの特定の自由への判断能力の常なる使用は、客観すれば分別とよばれるだろう。