2010年2月14日

生態学

世界中に無数の社会秩序がある中で、人類のつくった諸系統は決して普遍でない。様々な動物は彼らの求める特有の秩序をその合法則集へ容れ込む。その中で、物理学で最も正当化できる型をえらぶ際に使われることのある人間原理は、生物学上で姿をかえて感覚原理を指し示すらしい。人類が見る法則さは彼らのもつ感覚を通してしか見渡し辛い。物理でのとても大きな次元や虚次元の様な数理上は想定できる宇宙界でも、我々が全く認め知れない場合その次元は省いて考察を進めるのが妥当となる。そしてこの為の自然科学の指針は、カントが純粋理性批判で与えた直観の次元、いいかえれば感覚の原理に基づいてのみその針の路を正当化できる。
 人類は社会として次のルールをもつ。先ずそこでは空間量を最大の同じ恒常さで満たす巣作りが行われる。これは一般に建築と呼ばれ、すべて彼らの巣。次に彼らはこの拡大を行うべく既存の自然をつくりかえる。初めに開墾を行い、田畑を耕す。そして後にこの上に店舗を建て仲介のみへ特化する。最後に極相化するとそこは単なる彼らが寄り集まった巣となる。
 空間量を彼らが問題にすることは、その巣の様式が四辺形か四角形など直角を多用し最大量の空間容積を求めるところに現れている。この理由は、他の巣作りを行う生態に比べ彼らが室内活動にかなりの幅をもっている所にありそう。なぜならもし強度だけなら蜂の様にハニカムを合理的としたろうし、温度や湿度のみを理由とすれば殆どテントの様な原始的形態で十分だったろう。人類は彼らが求める室内での多くの活動を跳びはねても問題がないほどの空間量で満たそうとした。それが立方体のくみあわせをより許容できる体制とした。
 この規則は彼らが耕す田畑へも広がった。そこでは特に指定はないにも関わらずほぼ一定の直線と直角のくみあげで耕地線が曳かれる傾向にある。空間量を天空率の無視によって、土着的に理解していった彼らは平面上へもこの立方法則をあてはめた。
 その後に建てられる店舗と集居は同じ規則をあつめて反復したもの。そしてこの手順は、彼らの細分化された巣の中でもくりかえして起こる。小さな隙間で何かを栽培し、部屋の一部へ店舗を設け、最後に部屋を区切って違う生態へと貸し付ける。結局、人類生物学の目線からすると耕地、店舗、集居の段階は規模問題のみ。ゆえ立方法則は彼らのすみかを全く同じルールで埋め尽くす原理。
 感覚原理にみると、三次元での立方さはその空間を動いて暮らす種類にのみ当たる。そしてこの外へは出て行かない。ゆえ人類の立方法則はそれが反復と拡幅を続ける間、彼らの生態論を最も基本にのりとった形で整理づけるのに向いている。この規則を共に持つかそれへ似ている生態には、多かれ少なかれ人類自身と類比できる生存上の利害が及んでいるだろう。しかし、非立方のものや拡張とは違った性質の生態下では人類が持ち込める文化反応はとても少ない。