芸術への蔑視、これはアリストテレスにとって変化するものへのそれに等しい。観想にとって制作は変化への対応だったので、西洋哲学に於ける場所のよしあしにもこの変化への適応方法はあてられた。不動の座が神の理想界にふさわしい、という理論上の立場がそこにはある。
実際には、芸術は確かに変わり易いまわりへの対策から生まれるといえる。変化し続ける世界への驚嘆の念が定着されると、ほぼ自然と同等となった何らかの秩序の高度な完成がみられる。ダヴィンチのいう神の弟子という芸術家か工人の立場は、変化していく自然界での位置付けに想えば精確。この立場で実現していくのが、不動の座の建設。だからどこへでも適応し直せる可塑さの上で、芸術家が観想人より劣るのではない。自然界に完璧な不動点はみいだせない。この面で誰もが工人たらざるをえないのだ。神は、もしカントが考えた様に理念そのものでしかありえないなら、世界外存在の如きものは現世系では信仰内のほか確かめる方法がないのだから、神への道の上で芸術家とその仕事はどの立場にある生態であれ不可欠。奴隷制度の不平等と機械的使用の土壌が、そのからりと晴れた変化の少ない温暖な環境で発酵したとき、当時の古代ギリシア型自由市民の頭には芸術の蔑視が正当だと思えた。ルネサンス時代のイタリア自由人がこの偏見を内側から突き破ろうとしたのは、復興が別の土壌で行われた結果だろう。同じく、自由精神が自覚されるかなりの経済的余裕と安定した政治環境がのこされた場所で、その地霊は違う原理を各々目覚めさせる。これらに優劣をつけようとしても、生態が生存競争のどこかにある限りは次のそれを止め揚げた理想によって乗り越えられていくだろう。
おもとして小刻みな季節変化を他と比較したときの特徴とした日本国風の世界観では、彼らの理念を常に多かれ少なかれ芸術化する。だからその哲学は芸術へのそれとなる可能性がとても高い。それ以外の智恵は、彼らの中では多数決を占めないかさもなくば傍系とみなされがちとなる。地霊がそう指揮しているのだ。芸術場としての国風は、和辻の指摘がただしければ情緒へ過度に耽溺しがちな欠点でもある。だからその国風のぬぐいがたさを各々特徴づける智恵こそ芸術哲学の命題となる。千差万別の芸術観がありうることがこの智恵にとって本質的なのだ。ゆえ趣味なるものをこの概念と捉えるのは適当だろう。重要なのは如何なる趣味が真の智恵と呼べるか、への考究となる。他の風土ではいざ知らず、大部分の日本の国土ではある程度より独立してであれこれと似た考え方がいずれあまねく理解されるだろう。風趣の理念はこの趣の違いがゆたかであるだけ真に芸術性を伸ばしきる土壌として、各々適応的な習性を身につけた証であるとしらせる。