2009年12月7日

予見

世界の中で人類文明、そう呼ばしめてきた体系が如何ほど永続きしえるかは確定できないばかりか、一途に機会による。場の変わりゆきがどれ丈の烏滸ましさの上にあるかを計算できる、胡亂な諸氏のユーモアばかりか、なぜ地上の生命体共が斯くもおろそかな多くの型へと身をちぢここめたがるかにもとる。乃ち生き残るとはすみやかに只生物間共生をてひろげたがる生態系の基本方針にのりとるので、さらにはどんな余計もない。場の法律もこの原理をこえぬ。数の多さすら繁昌否かの一定点に下らずどこそれも世界とは唯移り行きのおかしさにもどる。
 もし誠、道徳のさきゆきに久きをみたくば群れの内にある諸法を修める可だ。代りに、自ら然るかくのよのうちに何故生態なる大いさの幅程を築きあげしめたか訪われるといい。理の次第、世間とは捕える被るの掛け合いでしかあり給わず臨めるのはそれらの変わり身に動ぜぬ境を予見しうる身の上ばかり。