2009年10月4日

説話

理性の欠乏は教育によって補うのは困難です。

勲章をつけた知識集団の俗物根性は階級制度の現代版に過ぎません。

かつては武力が、いまでは金銭が物を言う様ですが、もし知性がそう働く様になってもタブン他人の上に立ちたいと思う自尊心の誇示は別のかたちで現れるでしょう。

人類である限り感情というものがつき纏ってくるのを適当に払いのける手間が必要でしょう。

私は多くの愚か者がおのれを賢者だと暗に誇るのを見たことがありますが、彼らは知識の量で、或いは理性を軽視する態度で結局は損な役回りへ納まっていきました。だから愚かしさが教育で補われるという考え方には反対です。
教育課程の中で理性的態度を尊重する習慣はとても少ないのですし、多くの学校生活は寧ろそれに反する悪習も副産物として教え込みます。輪を守れ、協調しろとおしえこむ人物が閉じた島国根性よりも普遍的な正義感を信じていないのですから。

人間はとても変わりやすい移り気なものなので、きのう信じていたものをあすに忘れるばかりか非難しさえします。たとえば小学校で、教師がきのう説教した内容を忘れるばかりかそれと反した行いをする絶対君主ぶりを見なかったひとは少ないかもしれない。おぼえているかどうかとは別にです。
けれど、もともと人間の程度はそういうものだと言えます。さもなければこれだけくりかえした戦争の記録があるなどと考えにくいのではないでしょうか。
人々はあさっても誰かが下らない喧嘩をするのを目撃するでしょう。それは、理性に恵まれなかった人がどんな教育を施そうと生まれつきのレベルで後を絶たないからです。そして、大脳に突然変異が起きた特別な理性の遺伝子が個体群全体にやがておきかわらない限り、状況改善の希望はないでしょう。
かれらは芸者が立派なものだと信じているのです。どうしてそんな血統がキリストの言われる色目の罪悪感を理解できるでしょうか。やはり残酷なようですが、育種のためには決して編入すべきではない人もいるのではないでしょうか。優生学的なアイデアに映るかもしれませんが。

この島でむかし王侯をしていた人の周りにはいつも頽廃が忍び寄った。権力の腐敗という歴史のつねがそうさせたのでしょうか、それとも山に囲まれたところで育ったご先祖が原因でしょうか。
そのご子孫のおひとりは、偉大な宗教を平気で迫害なさり、かわりに御自身一家のお社を狂ったようにご自愛なさっていたらしい。けれど神はすべてをご覧になり、まことの放蕩息子の末裔へいつか最終審判を下すでしょう。
どうして偉大なる父親が兄弟ゲンカを喜ぶと思われますか。つとめて相互いに敬われますよう。

私は神を敬うことがどうして他のお祭り屋さんをやっつけることにつながるのか理解に苦しみます。

多くの暴力と権力のありかたを世の中にみてきて思うのですが、それらを好むのはかならず悪い結果へ行き着くものです。反対に、知恵と工夫のありかたをみてみれば、一体だれが尊敬に足るのか簡単にわかるはずなのですが。演出好きな運命の紆余曲折あれ、のこるのはいつでも尊いものだけです。

いけとしいきるものの内に男女をべつにおつくりになった自然界のあるじは、果たして男勝りを褒らむでしょうか。それとも女々しさをお好みになるでしょうか。

女性は考えるほど過ちに陥ることが多い様です。

天分をこえた教育を授けすぎた女性は国の悪魔となって不名誉や転覆を企てる危険性がある。たとえ無意識であってもです。
多くの大国の最期は、その様なおかしな女性が支配権をふるいすべてを私用してしまうところにもとまるようです。だから、男らしさを尊敬なさい。もし貴女たちが当面は理解できないことであっても、大の男の考えたことへは素直に従っておきなさい。自然界では雌雄にべつの役割があり、さもないなら性別がちがうはずはないのですから。