2009年10月3日

五輪招致結果の分析

計画の合目的性を主張する、という面から全体の説明効果別に分析すると、東京のそれはおそらく候補にのこった四都市のなかで最も高い質をもっていたと言える。そして紆余曲折という歴史の変転を予測すると、今回の評価の様な情熱に押された決定が必ずしも素晴らしい結果につながるとは限らない。
 恐らく国際的有名というものは特に異民族や異人種への「みおぼえのない」表現にはきわめつけに重要であって、そこではある種の顔見知り度が安心感の信号として伝わざるをえない。だから改良要点をあげるなら西洋人が過半数を占める委員会を標的にして、西洋に於ける有名を顔にするべきだった。異人種はなお表情が硬く見えるものであるから。だれも知り合いのいない場所でどれだけすぐれた主張をしても、よほどの目利きでなければ変わり種の青眼視が当然の第一印象となるはずである。彼らが西洋人側に既に有名であるというむしろ日本人以外にとっての驚きならかれらの言葉でその切々と良識へ訴えかける心理作戦はより適切だったかもしれない。
 冷静に場所代の面で勘案すると東京五輪は明らかに誰に向けてにせよ割安だったのだから、恐らくどこかの未来の時点に目利きの判断で、そこで祭典が再生される可能性が高い。内陸部にいる西洋人の感覚からいえば、環境問題への感受性のにぶさが呼び覚まされるにはある程度の時間待ち、いわゆる我慢が必要である。