2009年10月1日

思考貯蔵庫の緊要

先日政府につくられた国家戦略室とやらは、戦時中なら分かる安直なネーミングだが、平和主義の上では言霊への配慮が十分とはおもえない。原子爆弾の悲劇で二度と戦争はしませんと誓ったはずなのだが。

もし先に防衛省などという極悪きわまる無礼者の高すぎるかしらをとりさげてからなら慰霊を兼ねた平和主義遵法への筋は通っただろうが。

Strategyの訳語だとしても「方略」「計略」「算段」など様々にもっと穏当な命名はある。
 いうまでもなく天才官僚には余計なお世話の様だが、こういう非常に基礎的なケアレスミスに現れる様なブレインの質に勝利直後の民主党の名誉をおもいみれば、おそらくできるかぎり最短で、強力な背骨となる何らかの思考貯蔵庫あるいは頭脳集団を確保できねば遠い政権維持へはあやういだろう。それは助成はどうあれ現内閣の内外問わずにである。

 おもうに、日本政府の伝統的な最大の欠陥は理論家あるいは頭脳の軽視にある。
武家政権の専制がいかにも例外的に長かったので、同一人種以外との抗争そのものが致命傷となる危険性を覚らず、結局甘えが許されると信じているようだが、世界では計略の不足で即刻解体されない国体の方がめずらしい。
もし同様の性格であったモンゴルに元寇時点で侵略完了されていればと仮想すれば判る。

また、ソフィスト(知恵者)と呼ばれる詭弁術の有料教師が跋扈した時期に民主政のギリシアがマケドニア王国に殲滅された歴史事実は、信用の置ける頭脳として民主政府が抜擢すべきなのは――命令に対して従順かつ判断力の確かな出来るかぎり実務に向いた質の者、いいかえると『科学技術者たち』の中に見出だされるだろう。
そういう中でさらに選良されたある種の職人気質、堅気とでもいうべき不粋なタチを保っている剛健な連中のうえにしか、実のある方略を掛値なしで教えてやまない、裏表なく実直な人格は(資本主義化した世知辛い世間では)多分みあたらないだろう。

決して自称文学者やら詭弁屋――しばしば真実の哲学者の中に紛れ込んで偽装し、本来の教養による知恵でなく、奇をてらったまやかしの虚言で人々をたぶらかす――やらに代表される‘巧言令色の輩’ではない。又きわめて虚飾しやすい‘肩書を誇る者’でもない。
かれらは政権外の在野での批評論ならまだしも、政権内部にとって決定的な危険分子であることもありうる。(科挙を通じてイエスマンばかりを集めてしまった中国大陸での歴代王朝の末路や、そのうち馬鹿の語源の一つである趙高による助長してしまった専制権力の弊害をみよ)
特に一見すると知識人あるいはインテリゲンチャといわれる風貌をまとっている者(もともとロシア語の翻訳である)は、相当の世事に通じた洞察ある者でもなければ真贋がとにかく見分けづらく、しかしながらまずもって専門ある理論科学者ではないのだから隠密でないかも怪しい。

純粋な理論科学者そのものは世事や現実問題にもともと疎い欠点がある。アインシュタインがナチスでなく日本へ投下される原爆開発同意書へ不本意にも署名してしまったことなどはその例である。(純粋理論の科学者は職業症でなかなか政治的正当性を認識できない)
 共和政の末期ローマに於ける多くのゲルマン傭兵はゆるんだ市民権を利用して“肩書の援用”を政権奪取の担保としつつ、内側からシロアリのように大帝国を瓦解させたのだから、いわゆる知謀でも十分、はずかしげなく堂々掲げたどこかの戦略室(盗聴器がどこにあるか一目瞭然である)とやらが骨抜きにされる場合もあるとひそひそ議論事前に聡るべきだ。
アメリカが秘密警察幹部をどこに置いているか国外人に知られるほど安直でないなら、幼児じみた敗残日本人の文明僻地なりの軍人知性(神風攻撃をした奴らだ)を反省する機会を既にして与えている。下手に考えるなら優等生に習う方がはやい。