2009年10月21日

政府公報の資本経済内原則

何らかの緊急時に、政府広報の直轄機関というものを民営のテレビ局とはべつに確保しておくことは有徳だとも考えられる。もしこれがまったくないと、ほぼ損得勘定に左右されざるをえない‘民放集中の弊害’によって、確実に最重要情報が伝達できないおそれがある。

たとえば突如として国内にテロリズムが起きた場合、この政府による避難や勧告の精確無比な報道に民放をつかうことには限界がある。
当然、「公共情報の精確さ」より後先かえりみない話題性に曳かれてその場限りの誤報や速報へと内容はかたよりがちになり、世論や民心のムダなあおり立てと混乱状態がいやましに起こりそうだと言える。
かつてまずしい情報網しかなかった危急時にデマが起こした唯ならぬ悲劇を覚えておかねばならない(関東大震災時の在日朝鮮人虐殺事件)。

 しかしまた同時に、官営状態だと各種の官僚主義の退化によって不経済や上意下達組織特有の悪習が堂々とまかり通る傾向も免れない。つまり平穏時には決して公報機関の‘純粋な’官営は、最善の手だてとはいえない。

――この利害両面を天秤にかけて将来をおもんばかると、おそらく公報機関としてもっとも賢い方法というのは今日において、まずいちど公共放送事業を民営化してその株式会社化をすすめてのち、『国営株主構想』によって政府がその税収からくる財産によって、公報機関の過半の株式を保有してしまっておくことだ。
こうすればいわゆる民間の投資家とおなじ立場にたって、株主総会という多かれ少なかれおおやけに経営へ口を出せる立場から普段は民営セクター同然の高効率の運用を施しうる一方で、いざというときは主要株主たる会社の支配権を援用して緊急の公共放送を流すことができる。
 この結果、もし度々の小さな政府の段階にあって放送局の規模が一時的に縮小しようと株式の過半支配を超えないままに運用していくつもりなら、内容がどれだけ細々とでも最低1chの公共化は果たせるはずだ。
おそらくそのための新しい放送権の調整も要るかもしれない(放送の自由と、政府の税収経営機関としての立場のすりあわせがうまくいくよう、まだ民営局が乏しかった時代につくった反福祉的な法的摩擦力の調整)。