2009年9月6日

地政学

都市文明の現象。ある見識によれば、高速道路を地方にいきなり通すと、その周辺の郷土が都市化現象を引き起こし、在来の文化は移民と人口流出で破壊される。だが私の社会学上の考えでは、文化と文明のどちらを択ぶか人民が突き付けられたとき、一般にえらばれるのは文明の方である。そして土着文化を信奉する側はつねに劣勢に立つことになるので、ある程度の反抗のあと侵略者の権力に伏せざるを得ない。ゆえ都市文明の伝播そのものは決して騒がれるほど希な例ではない。これは地方の活性というアイデアが半面、旧態の破壊をも不可避にもたらすという都市文明化への道であると教えるに留まる。それは当然ながら、土着風俗の適応的変異をも代償に求める。
 そして特有の文化人がふるめかしい在来の旧態のなかへある程度以上の徳性を見つけるとして、そういう人のナショナルトラストの様な積極的保護を前提としてのみ国家の地方政策は実質的に進められるといえる。
 政府がおおざっぱに引いた代官線路をどうあつかうかは郷土付近の長らくの文化的展開に詳しい、こういう現地の有識者に任せられたほうがいい。たとえばイギリスがインディアンを追い払う中でポカホンタスの様な有能な首長あるいは郷原を逆に抜擢したことは、スペインのコルテスやピサロがやった野趣あふれる徹底的破壊とゼロからの再建設よりはるかに効率的である。こういう大袈裟な例がある程度敏感な地方人の神経に与える危機的な旧態保守の感情は、にもかかわらずいざとなれば何を真に護るべきかといった文化遺産のありかを啓蒙するものだ。身を挺しても維持したいそういう少数のものしか完全に以前のままの姿ではのこされない、という事実が地方への中央統制的発展のある面で残酷な本性でもある。更には、この都市伝播の流れ自体が国際的な主流である期間、いいかえれば覇権の存在している時代、全くの僻地を除き程度としてどの国家へでも同様の、超大国からの中央資産分配の経過が起こってしまう。