2009年8月22日

象徴の形式性

政権闘争の議論中、民主党の日本新生を象徴するマークを示した旗が、日本国旗を切り張りしてつくられたことへの批難あり。現首相、自民党代表もこれへ梃入れす。
 象徴はすべてそうだが、意味の方が尊いのであって偶像がそうなのではない。だからもし高が旗でしかない国旗を斬切るだけで日本国が救済できるなら遠慮なく、何億枚でも切り刻むがいい。姑息な枝葉末節への批難をもって闘争の為の闘争に熱中してはならない。すべて政治的議論は、より良い公共福祉の立場をみちびくための手段である。だから小手先の論鋒をくじくにはいっそ「国旗を燃やす」ことほど効果的な煽情方法はないだろう。
 旧体制を打破する意志を明確に出すのに遠慮はいらない。高が旗なのだから。
 国民の総意を象徴よりも尊ぶ者を民主主義はあたかも救世主の如くに遇するだろう。かたちだけの崇拝は虚飾にすぎない。ただの布とインクで染み抜かれた日の丸の印が尊いのではなく、志を以て大国に抗う一つの理想としてそれを掲げる国民の魂そのものが、彼らの万国公平を望む東洋の高貴な精神のために尊いのだから。