日本語の適用範囲が、いわゆる天皇制の及ぶうからに限られるという前提には、その言語圏が持つ人口支持力こそ決定的に日本という同系群生集団の進退と一体不可分である照合をなすことわりがある。結論からいえばその人口支持力が僅少なら他の民族及び状態集団との駆け引きでは不利なので日本語と天皇制はいずれ社会淘汰の自然によってきえゆくであろう。だがそれが他の系と同等以上ならば、吸収と同化の作用によって同力をもたらし得る程度に応じて当該国際に於いて社会進化を試みる再適応の効果に準じた生存率を維持できるだろう。
つまり、我々は日本語による生活圏をその社会が有する人口とかれらの持つ総合的生産性に依存していると結論できる。これは日本語がながらく隔離的に他国侵略から離れて成立した経緯から極めて規則に於いて煩瑣であり、同様の不文律は当社会が数多く持つものであって、この文化の特殊さがさらに国際化を妨げる致命的遠因であると教えている。
より国際的な民族は言うに及ばず、最も世界化できる民族と民族間体制とは文化の普遍さにとって最適であるからだと言える。だからその特殊さを大幅に伴った日本語文化圏という所は、明らかに世界的展開へ向けては今の段階では不利なのである。勿論ほかに更に特殊化してしまった文化もある。アマゾン奥地で他の文明との接触を断った場合などはもう我々が辿っているのと共通の進化はできないだろう。しかし急激に急進展を欲するあまり一切の血統主義を排する左傾には統一化を困難とする弊害も生ずる。アメリカの州相互の激しい抗争や敵対などは半面教育に足る部分もなきにしもあらずだろう。
結果として世界化する為に自己の特殊な体制を多少あれより望ましい姿へ改良させて行くことは、そこでの不文律を含む否応ない趨勢でも進路でもある。天皇制の祭政一致的土着さ等は批判の矛槍で自由主義論手から攻撃されて然るべき特殊さの焦点でもある。すぐれた外来者の目に、その野蛮人の宗教と混同させた政治様式は未開の社会で野生の暮らし方をしていた太古の先祖が、同然の狂信への扇動を行っていた記録を示すことになる。日本に於ける王政が天皇家の世襲という祭政一致方式を維持しているという点は、おそらくその国の特殊さを示す最深部である。假にこの家系を解体すれば他の王政を執るか儲けておき温存する民族と殆ど違いはなくなるだろう。
そうすると、日本人にとって最も賢明な自己進化の方法とは、天皇家の世襲による政治的狂信の土壌を中和や浄化するべく血族の国際化を図ることだろう。例の一つとしての現イギリスの王権の起源が元フランス王族の征服にあり、後に王家のオランダ並びにドイツからの輸入で再樹立された史実はかれらが西洋圏といったより人口支持力の大きな母体を相互補完できるほど中和的かもしれないと教えている。我々が皇族というもの、また彼らの傍系が世俗化していく過程で形成されゆく旧華族の血族へある面では慎重な、また積極的な国際選良化をのぞむなら、その流行は意味のないばかりか害である特殊な伝統の保守よりは遥かに優れた長期計略へ叶うだろう。祭政一致への土着民の迷妄を冷まさせるのにはおよそこれしか今打つ手は考えにくい。