快楽を扱う為には芸術的でなくてはならない、という原則は幸福の為に必須である。もし擬似芸術的ならいずれその趣味への批判の為にその快楽の習慣自体が生態からこぼれゆくであろう。だから、芸術は快楽の利他性という面からいえば最も洗練されきった能力でもあり、その追求によってのみただの感覚的満足のみならず、精神的な充足感つまり幸福感は得られる。
もし幸福でない人間がいれば、その人には明らかに芸術が不足している。そして芸術に長けるだけ、その人は幸せになれる。どの感覚器に対する充足であってもやはりその健康の促進と成長に寄与するので、生命体の生殖の為の機能をより文化へ貢献する形で保存できるのだから。
たとえば演劇の芸術は、その外聞をよくする技巧の為に洗練されるほど他者へ