2009年8月14日

ネット行商史

無償で手に入る高品質な情報を寡占できない系、既存の遅く、費用高な経路でしか情報の果実を収穫できない団は、その逆にある進歩的個人の文化素量より等比数列式に重要度が低くなりつづけていくし、経済損失の面から淘汰されゆく可能性がずっと高い。
経済とは共生秩序のことだから、無償で情報転売および最小価格で小売りできる奉仕業者はおなじ品質以下の商材を高く売る業者よりも、この秩序から取りこぼされやすい。

一時的後退が各種の製造業上の失敗から起こったとしても、継続的に高品質な情報を量産できた系は、ほかの情報業者より有利なので必ず生き残る筈。

 これは、結局インターネットの有利さが流通費の最大限の削減にあると教える。モノとしての商材をできるかぎり軽く、安く、速く仕上げることがその本質だろう。重く、高く、遅い流通に頼っているかぎり勝利はない。
今日でいう無償の範囲は、有償化よりもその経済性が高い場合にかぎって相対的に有利である。
――例えばアマゾンのサーウ゛ィスは劇的な店舗費用の削減に業務上の功利がある。それは「みせ」ることが消費活動にとりまったく流通費という非本質的な磨耗であったがゆえに、具体的店舗より便利である意味ではゼッタイに既存販売業より拡大に於ける経営内節約性が低まることはないからだ。
『奉仕が商売になる』という成功の原理はまったくここでも正しい。だからいまは無償であるので、(はやまって)儲からないと判断するのは損害の素。そうでなく、奉仕させてもらったという儲けがあるかぎり、文化素量の点で、換金の時期はいざしらず、その小売は接客技術で成功しているのだ。

アマゾンがみせるのを損だと判断して店じまいすれば今後も含む発展のみちをみずから閉ざすことになる。重要なのは何をお客へ提供できるかだ。如何に新たに便利な奉仕を提案できるかだ。どうやってお客様に満足して頂けるかだ。要するに、もっと速く安く軽く以前よりよい商品を消費者の手元へどうやって長らく届けるか。
もしも長らくという点をかえりみないなら、セッカク便利になってきたサーウ゛ィスを途中で打ち切るしかなくなってしまう。だから基礎体力としての資本を少しずつ増強させながらこの命題を追求しなくては。