2009年7月13日

社会生物学

社会性生物の適応型には、長期的な戦略の観点からおおよそ三つの類型へ分類できる比例があるらしい。先ず増産性の高く、おもとして大陸的環境誘因へ適応的な内的増加率戦略次に、その類型がなんらかの隔離された場所へ入り込むことで一定以上の環境抵抗への適応的変異の傾向として現れる環境収容力戦略。前者の増産戦略が集団性のある社会生物にとって最も普遍的でありそこでは目的となる形質間の変異の分かりやすい一定性から極めて迅速で合目的に繁殖活動が行われ、それに伴い成熟期が次第に整頓され速まって行く。後者の隔離場適応はまた、多くの場合は幼型化の傾向をも伴うものであり、その繁殖流率の遅れの為にも生物群集にとっての多数派になることはあまりない。但し、この収容戦略は同時に、群生への最大限の好ましい変異の集積によってなりたつ以上は一部においてきわめて競争的な群密体をつくる。そしておもとして、寄生関係による入り組んだ形質奇形化が見られるのはこの過度に渡る異常な環境抵抗が続いた隙間に於いてだろう。更に、かなり希な確率でだが、これらのどちらでもない第三の適所に於いては進化的形質が集積しやすい場合がある。そしてこれは決して固定的ではなく、たとえば潮汐などの周期的自然現象や季節風その他の偶発の揺らぎを伴い時間帯や各生物環の遷移に叶って高度の偶有性をある特定方向性へむかってある程度以上持続的に確保していた流動する場に於いて観察可能な環境の性質であり、まさに場合と呼ぶに相応な、任意の合理性にとって適当な環境抵抗条件があるときに限る。だから、この進化場というべきものは増産場や隔離場のどちらでもなく、そのどちらかに偏ることもないような希な適所としてのみ発見できるものだ。この環境条件については臨機応変型戦略が観られる。そこでは増加率的な早熟主義行動戦略や、逆に繁殖行動の抑制にはたらくような未熟主義的遅延の形質よりも、どちらかといえばどちらもの長所を折衷しながらさらに高次元の飛躍的優位さを達するような、超中庸性あるいは進歩的変異に特徴のある個性に重点が置かれがちになる。一般に、この変異は高度に決定的であって、他の集団および群生的な個体群から大きく掛け離れた能力を達することになっただろう。たとえば、最初に陸生への進出を果たせた突然変異はほかの全魚類からはるかに掛け離れた呼吸器官の形質転換を、その磯場でのくりかえし起こった流入と選好の過程の中から一気に果たした筈である。なぜならば、もしこの進化と呼べる変異が徐々に起きたものなら、その形質が増産的になるか、または隔離的になるかは避けられなかっただろう。そしてもしその変異が増産されることになれば、それは集団を形成して大多数の種との根本的差異をますます連続した異系配偶で薄めてしまっただろう。逆に、隔離的ならその変異は間違いなく奇形化を進めてどんどんと少数派となり、いわゆる天然記念物にみられるような絶滅危惧を被るべき極端に閉鎖した一部の環境への群密度でしか生き延びることができなくなっただろう。したがって、この進化的形質は飛躍的な変異であったことによってその祖先種との配偶によっても形質の差異は大幅に保持されることになったと云える。亦たとえば、最も初めに二足歩行を可能にした類人猿は決してかれの血統以外によっては模倣されえないその能力差異によって、確実にその遺伝子をほかの母集団の種との分岐として蓄積し得たはずである。きわめて強壮な後ろ脚と、高度の平衡感覚を併せ持った種の形質が一定の平原で開花したとき、かれは先祖の暮らしてきた森の暮らしとはきっぱりと決別できることを確信しただろう。そしてその配偶によっても、かれの決定的に優位な遺伝的特徴が失われないことを知っただろう。
 比喩としてあらわせば、この適所は入り込みづらい僻地やはてしない大陸ではなく、自由な出入りの盛んな特有の島嶼に近い特殊な環境であるといえる。だから、遺伝形質として感覚器が先に高度の完成に達するという遺伝的浮動の事実上、性特徴への選好つまり性淘汰の規則は、進化論の立場からはまったく合理的な配偶方針なのである。結局、任意の方向性へむけて物珍しい形質を超鮮明的かつ綿密に選び取ることでしか、社会型生物は進化しないのだろう。この点はむしろ純粋な社会学または数理経済学の命題だが、ある種の人間が、もしその文化的条件づけによって、まったく次元のことなる配偶の理由をもつとすれば、その人間の生態的可塑性は任意の方向性にとって最大化しうることが確実である。つまり、我々のなかのある一員が己れの好みや社会的利害を超えて、より特殊な配偶者選択を重ねることはその進化にとって有意である。なんらかの任意な優生学的あるいは地政学的配慮によって諸生物の遺伝子管理を行うことは、進化そのもの為には自然淘汰よりはるかに有利である真実が、これら最小の知識からでもほぼ確定的に演繹できる社会生物学的推論結果だと言える。現実に飛躍的品種改良あるいは種の進化論的改造は可能なのである。対象を人類にかぎっていえばその例外の余地は、少なくとも社会性を伴う現生地球人種群の中には、アマゾン奥の僻地や無辺の宇宙進出を臨めないなら見当たらないだろう。