2009年7月24日

生物学

現代人が感性とか感覚と呼ぶ能力は、遺伝形質の感覚器に関する鋭敏さを満たすものといえる。
 又一般に、どの有性生殖する哺乳類でもその性特徴は雄へより強力に現れやすい。これは生殖の原理として、妊娠の機能を分担しないために変異の幅を最大限に多様化する雄性形質が、雌性より被選択的となる適応誘因が大きいからである。
 これらは、人類に於いては一般に、より遺伝形質の傾向をみたすだろう感覚の良さが、女性側の選好みにとってより適応的であると示すものの様にみえる。雄性形質の特徴というものは、性選択の為にであるより一層のこと雄間競争の手段としてそうなのであり、もし全く競争的に優位となる形質をたとえ獲得的なそれに関してすらもたない個体なら、単なるいさかいのためにさえ自滅してしまう。いいかえると、度を超えて女性的な雄はかなりの割合で被淘汰的なのである。
 しかし又、つぎのことはたしかである。即ち獲得形質は遺伝しない。というのも、現状の生物学知識ではその可塑性の為だけにいくらかの形質は機会的浮動のさなかにあると目されるので。もしそれすらなくば環境変異に対する新規な適応は殆ど保証されない。
 以上の推論はこう知らせる。今生人類が感性か感覚と呼ぶ形質とは遺伝的なそれであり、およそ其れしか次世代に直接遺伝せず、さらにその保護は普通ある雄間競争の条件次第につき相当程度困難なので結局、感覚的進化は性選択の可能性についてしか保障されていない、と。より普遍的に観察してなんらかの面で審美的な雌が多数存在している国や場所があるとき、そこでは恐らく何らかの特殊な社会内誘因によって雄間競争が比較的弱かったのである。雄の性特徴誇示の誘因として多妻的要因が類として介在する場合は、雌性の形質へは目立った非獲得的な特徴は遺伝されないのだから。例、孔雀や揚羽蝶。逆にいえば、なんらかの感覚器について極端に審美的な、ということは性選択について圧倒的に特徴ある形質を種全体につき結晶させるつもりならば、その為の環境では一つ以上の雄間競争誘因をできるかぎり解除しなくばならない。これは人類を含む種集団が祖先種から決定的に進化する為には鍵となる概念であり、将来に及ぼす影響度からするときわめて希少性のある重要な概念であるといえるだろう。
 私はこの発見を先哲に習って古語から取ることにし、多少なりとも恒久性のある文化遺産素に自らの名を冠する愚行は避けようと思う。
 ギリシアの地から遠い所で最も古い伝統を持つ言語は漢語であり、その古書の豊富さから適切な語彙を拾い出し復活させるのは根気さえあればできることなので、私はこの概念をとりあえずギリシア語のほか漢語故事からも取るつもりだ。もしそうすれば数ある情報素に埋もれて忘却されるか見逃される時代が長く続いたとしても、西洋史と漢字の伝統が生き残る限りどこかで後生の学者によって再びその意義を見直され、ただちに回復できる言葉ともなるだろう。しかし大勢に於いて現代の世界語は英語かその簡素化された派生語が占めつつあることから、少なくともギリシア語彙から取捨したローマ字表記も翻訳用に残して置く。それなら発見された重要性が概念語の出現する珍しさの為に、看過される率もかなり減ると思われる。
 今の日本語の学問風土は受容的だが発信的となるには未熟なので、又それにも史的及び国風的必然性はあるにせよ、この場で発表した概念は流行の激しい学問史の上では、どこかの時代で誰か外来の学者によって運よく覓るのを待ち続けることになるに違いない。だが、もし他の誰かが同様の結論を導くとしてもなお私の辿った路程標の真上を行く筈である。
 進化する為には先ず甘えがなければならない。そしてその甘えの風土に応じてのみ、ある性特徴を大幅に解除された新種が生じる。これは人類を含む生物学上の真理であると考えていいだろう。
 英語圏にはこの正確な既成概念は存在しないので、翻訳するにはラテン語のindulgereを介して、ギリシア語のικανοποιω即ちikanopoiaを用いるのが賢明だろう。漢語圏では、この概念に最も適当な故事成句として陶淵明の詩題から責子が挙げられるだろう。