我々が知性と呼ぶ性質は主として体系だった学習行動に由来する獲得形質である事を省みれば、教育の有無が殆ど実質的な社会集団の合理性を決定する。そして哲学、自ら学ぶ事の能力を考慮すると、倫理に関してもこれは真と言われ得る。だから、もしある社会が失業率の増大によって社会不安に陥るのを防ぎたいならその最も効果的な解決策は、かれらを教育組織の中へ吸収することである。キリスト教、仏教、イスラム教をはじめとした各世界宗教組織はこの倫理教育へ多少あれ特化した部分集合だと考えてよい。
資本主義の社会で貧困層と無学層とが一致することがおそらく、そこでの最大の不幸である。そして経験が教えることによれば彼らの無知は就中、犯罪行動と結び付き易い。さらに不幸の連鎖として彼らの家庭環境の悪化は浮浪と暴徒を内的増産させやすいのである。これらを考えれば、我々が自己責任論という自由主義の抱えた一つの決まり文句に依頼することなく、少なくとも国立教育の無償化と定員増を進めることは資本経済の負債としての格差社会からの不安を逃れる唯一の療法となりそうだ。