2009年6月22日

階級分化の人類史的帰結

人類が、少なくとも資本制度下にある同時代の彼らが、所謂経済力という財産の誇示に大きな人生内価値を見出だす理由は、そこでの社会誘因が団的審美化を極として営む多数派の明白な目的意思をそこへ導くよう洗脳させているからだろう。古書に於て不義にして富且つ貴きは云々の言辞をみつけられるところを鑑みれば、いずれの時代にあっても大衆はなんらかの中流の商業階級に属するものなのかも知れない。だがこの社会学の命題については十分な実証的証拠からの史的分析を要する。自由主義の最も明晰な指導は、自らの個性を分業制の内で最たる合理化の為に徹せよ、という利潤目的の個別化に求まるだろう。そして蒸気機関以来の工業文化の展開は、分業制の進展を機械率の導入で果たして行く傾向にあった。その絶えず技革内差延から剰余価値の引き出され得る社会では、資本獲得への最適化がおそらく、最も誘惑の力を発揮する様になったのだろう。概ねその目安として他の哺乳類と同然に人類に於いてもその民族か品種の性特徴は雄性形質でより決定的に現れ易く、この資本獲得の誘因は工業化中のどの社会系にとっても繁栄の象徴とされ勝ちになってくる。だが我々が歴史を振り返るとき、そこには古代文明の賑わいは既に消え去って、記憶さえ定かではないのを知るのである。辛うじて文物の記録か、貝塚や古墳などの遺された建築物かその一部である美術品に関してしか古代人の生活観を知る由もない。
 我々が現況として激しい忙事生活を余儀なくしたにせよ、後世の人間または知性にとってはそれらには余りかほぼ価値というものは認められないものである。換言すると政治や経済にまつわる忙事の生活とはそれ自体が瞬間消費的な演劇の部分和。巨視や微視ならずそれらの程々に庸視すると、これら忙事系というものは建設作業を詳細に述べたものだと考えるのが妥当。ピラミッドやワールド・トレード・センターを築き上げたものはまさにそれらの忙事系だった。政治というものはある覇権的一族が国家を詐称して境界線を設け、その内部へ労働量を囲い込む忙事の謂いだから実質的には経済反応の仮定にある一形態だと思えばいい。アステカ王朝がテノチティトランへ果たしていた役割はやはりその柵主がコルテスへ移った瞬間に崩壊した。征服者が覇権を持つ場合、忙事系は即座にそれに応じて目的とする都市の形態をも変化させることになるのはこの一族の儚境意向が違うから。
 従って、庸的観点を以て社会内競走や生活環の変容を省察すると、我々は国家とは集合誇示の一つの形式であったということをはっきりと理解できる。文明と呼ばれている現象はこの国家間の競合状態の際に観察できる系の潜在及び顕在運動量であるらしい。
 更に完全に生物学上では単純な概念へ還元すれば之は実に巣作りの盛んさでしかありえないだろう。人類へ適当な語句へ卸せば建築集合体という言葉におちつく。なので、もし或る時代にかなりの高度な産業上の技革があって、その風下で活発な建設作業がもちあがり結果、大衆その他の労働要員の階層で忙事的形質選好の傾向が生じてくるとなると、例えば社会性昆虫のうち働き蟻の階級に実際には不妊である理由も存在しているが、繁殖行動の有無だけがその階層が次期にも増大するか、社会淘汰その他で数量的に処分されていくかが示されている一つの局面である。
 今人類の社会では強い階級制度を敷いて来た系と、近代に家産制の増大を披瀝してその国家体制を革命させた系とが併在している。そして人口ピラミッドの予測値は我々へどの民族状態が、果たして近々の将来にこの中で資本獲得を誘引剤に繁栄するか、逆にどの系が階級分化を推し進めてその環境収容力の設定を変えて行くか予知させえる。即ち、ピラミッド型は繁栄し、釣り鐘型は階級分化し、逆円錐型は衰亡するだろう。これはある文明の学術能力に比例した技術革新の速度と、囲い込みの土地へ収容しうる定員の関係が労働人口の繁殖比に表れるという一つの史的認識から求まる社会性をもつ生物にもあまねき事情だろう。