2009年5月12日

仏教の知性

仏教思想が縁起説を通じて、また古代インド哲学に斯くある如く神の仮定を巧妙に回避したことには選れた慧眼が見いだせる。梵我一如と呼ばれるインド哲学の伝統的真似は特に、他の諸文明圏で神という唯一絶対の理念をもちだす以外では畏怖の念を生じさせがたかったのに比べれば際立って、知性的な側面を有している。
 特に信仰よりも解脱を目指す、という面でインド哲学の宗教化には西洋および中東圏での思想的伝統とは異なった個性があると云えるだろう。
 悟った者としての仏陀は、ガウダマの遍歴初期の素朴な口説を通して孤立人の理想を追い求めるところに特徴がある。そして説き伏せる相手を要する布教に比べれば、解脱を目的とした修行はずっと神理念を前提とはしなくて済む。理解不能な出来事にであえばこれを縁起説に則って解釈し、因果律上の答えを見つけ出せばいい。この点で、他のどの信教よりも仏教思想は知性啓発の面では先んじている。進化論と創造説の衝突の様なできごとも神理念を主眼として自然解釈する慣習があるかぎりは決して癒えないだろう。