2009年5月20日

公共事業体の民営化上の経験談

JR東日本では、改札口の自動化を勘違いするあまり途中下車をできなくしてしまった。

その駅員は、機械と同じ口調で「昔はできたのだけれど今はできません」と繰り返して、当人の意思とは無関係に不当に得た差額を平気でポケットへ入れたのだった。

 だが、よくプログラムされた機械よりも劣る人情の機敏すらない人間は労働力としても極めて悪辣なのだから、彼は彼の属する集団のシステムによっていずれ再構築されるだろう。

我々は資本主義の合理的な性格を人員整理を含むサービス競争についても当然期待していい。消費者の利益よりもそのための手段にすぎない機械的設計を優先するような不良な会社組織は、かならず他の優良な鉄道事業体によって最後には駆逐されるだろう。それは時間の問題でしかない。
“JR東日本の倒産”という今の時点では想像しづらいように思える将来でさえ、我々は組織風土の荒廃といった資本主義秩序の厳格な淘汰圧の許で十分に勘案できるのである。

事実上の独占市場はこれほどまで早期に腐敗しやすいものなのだ。ならば、当面の間では他の民間経営体には追い着けそうにないほど‘寡占状態にある公共事業’については、なんらかの投融資を優先して民間の競争力を底上げするなどしてやはりよっぽど慎重に民営化を図らねば、結局は国民自身が資本主義システムという両刃のやいばに傷つけられることとなるらしい。
 のどかな農村地帯をぶらり旅で渡ることさえ「ムカシハデキタノダケドイマハデキマセン」という情緒のない無意味な勧告で不可能にさせるのは、観光利便を目的とした公共性の大変に高い鉄道事業をただの人畜運輸装置へはるかに低落させるものであり、Japanese Railwayという堂々たる名称の上である限り日本文化そのものの健全さ、また人間らしい余裕のある商道徳の養生の面からも憂慮すべき奉仕の公害で後退だ。
切符を鉄製のハサミで一つ一つ切ってくれていたころ、駅員さんは子供用の切符の赤い印を正確に打ち抜いて渡してくれた。その同じ人が機械よりも冷たく、人間らしい過ちを手銭欲しさに跳ね退けてなんの済まなさも覚えないということが鉄道会社の進歩であるとは誰にも思われまい。
 その経営哲学の退歩は回り回って彼ら自身の首を絞める。我々はもう二度と発声する機械としての駅員を感情ある人間だとは考えないだろう。