情報に対して低い値段しか付けない習性のある国民は、それに如何なる制限も設けない民に比べれば次第に、情報産業化の上で遅れを取るだろう。資本主義の建設は生活の為の便宜品を人々の射利心に頼んで円滑に浸透させることにかなり成功した他方で、主たる需要を物質に限定させるという一時の習慣をほとんど自明の理とする作為を否定しきれていない。いいかえると、物質文明の迅速な建設作業には役立った資本財の効き目は、第三次産業以降の社会的福利厚生にはどの程度有効か、いまだ未確定なままだ。
実際、人々はもし暮らしに十分な便宜品を取得すれば、装飾のための奢侈品を求めなければならない。情報という概念はむしろこの為に有効なものであって、たとえば料亭での店員のもてなしのこころ、態度、物腰といった奉仕産業としての側面は専らこの情報の度合いとしてのみ数量的に測定できる。ケインズがかれの経済学体系の実質的な結論として主張する様に、一国の資本財がすべての流動的需要を円滑に満たす方法として十分潤沢となった暁にその期待収益が徐々に低減し、福祉の理念にとって、という意味で準定常的社会があらわれるとすると、こういう経済文明にもっとも先に到達できるのは、従って最も富裕な厚生設備を社会資本へ蓄積できるのは資本主義の理念を生活財のすべての面へ価値化できた様な文明系となるだろう。つまり、価値尺度としての資本を我々が現在知っている限り最高の社会資本概念である情報の全体集合へさえ適用しきれた系、ということだ。
この斟酌が妥当なら、情報への課金は極めてゆっくりとしかその価格化が進まない様な出遅れた物質主義の社会でよりも、いち早く精神文明の側面をも一定の定量的価値尺度で売買しうるシステムを構築できた系での方が遥かに有利な経路を辿って福祉もろとも増大する筈である。
物質にしか価格を宛てない習慣は既に廃れ出した過渡期の陋弊であり、モノを売買する商業がコトのそれよりも次第に産業的地位をおちぶれてしまうのにも決して理由がないのではない。物質交換に実体があったとすれば、それが古代人の物々交換の際に巨大な石を以て替えたのと同じ価値尺度の偏差が共通需要の考えに関して真だったという近代化の象徴に過ぎないのだから。我々は純粋に感覚的ではない理念価格を認めている。同様のことは寄付財とか銘柄とか多くの物質文明的側面にも知らずしらず忍び込んでいた産業価格の転換だった。よって、一方で工業適応を至上命題としてきた物質文明的近代化はそのままの推移は不可能と見るべきだ。株を守っていくら兎を待ったところで、途上国への投資を除けば一切の便宜品需要が完済されてしまえば先進国内の産業形態上は、工業社会は消えてなくなるに違いない。我々は炭鉱跡を探検する情報にいまなお価値を認めるがすでに石炭を主要な財源とは目さない。では工場に関しても、果てはオフィスワークに際してもそうなるだろう。
工業文化はひとりでその担い手に回収される費用の低減とともに衰微するであろう。代わりに、第三次産業以上の流動性は増大し、社会の多くの場面もその資本投機を主業として営まれるだろう。無駄の制度化という概念はよって、工業文化の側面のみへ資本財が集中されるという偏見にもとづいて勘違いされた誤解である。装飾品は実用性をもたないところに特徴があるのだから。