2009年4月20日

財政論

ケインズ的修正主義は強制的有効需要の拡大で失業の救済を基本目的とする体系なのだから、慈悲からの景気づけというでもいうべきもの、つまりもともと生財の知力には有利ではない立場の層へ貴重な国家財源を無償恵与するというのは本末転倒であって、単にそのような無駄遣いは放蕩者がとるにたらない望外の贅沢に耽るよすがとなって即日消え去るにすぎず、あらたに生産的な人員を増加させるにはなにも及ばない(タナボタ浪費)。そればかりか、これらの支出対象はおよそ社会で必要悪か公には害悪とみなされているもっとも卑しいたちの奢侈品へ、少なからず需要を与えるという悪影響すら免れない。
 景気対策としての有効需要拡大の適切な投機先はつねに、公共福祉を最大化させるような耐久性の高い基盤施設に限る。即ちケインズ政策は建設需要にのみ、適当なのである。なぜならば、この方法によってしかより持続性の高い就業回復は考えられないからだ。ほかの表層活動への財政投機、たとえば催し物や戦争のような仮設性の強く瞬間的に営まれるそれは、殆どが即日に消化されてしまうことから、生産の中核以下を担う肉体労働力を疲弊または不自然に沸き立たせさせこそはすれ、決して景気の回復そのものには繋がらない史実が過半だった。その最も失敗した反例に見返りのない防衛戦を張らせた元冦時の武家配置、近年ではイザナギ景気後の大阪万博で浮足立ったところへ石油危機の直撃が挙げられる。万博や五輪などは同時に都市開発や工学奨励の意味を持ち、しばし記念物を遺す点ではより建設投機に近い政策だが、かといって余裕のある時に使い込んだ財政難傾向の結末は戦時や恐慌などの緊急時に国債を発行させざるを得なくする点で最善ではない。それらはいわば財政の道楽であって、例えば偕楽園造成事業のような民間福祉を兼ねた大盤振る舞いよりは徳の面では幾分か、先憂後楽の教えに背くとも思われる。財界人の方が必需には詳しい限り。