まねという行動規則が最初に生じた場所が遺伝子という概念を現実化した。真似されうる規則順列が群れを造らせた。そして真似の集積が文化圏を生じ、それらの相互作用は各文化圏の真似事として文明を斉す。
創造説に対して、模倣説の立場が持ち上げられる。
偶々生じたような真似の形態として源初の細胞を挙げるとすれば、その複製と分裂とは宇宙の物理的熱反応という時空環境にとっては特有の近似的閉鎖系内で混沌度容量の増大を意味した。するとこの生化学反応はそれ自体で自律した系列を持って増大することができる適所を閉鎖系の中で最大限に模索し出す。単純な生理規則からより複合した、より規則的変則を可能とする多細胞の連携した熱的反抗が始まる。進化の実質的な規則とは模倣の集積による真似遺伝の拡充だけであった。だから神の、想像できる限り全知全能の真似に対しては不可能性だけが模範となる。生物とは固有の半閉鎖系の中で増大しつつある生化学反応上の反熱反応的な斥力値のこと、要するにまねの系のことだから、その上で創造性を演じるとは群れの全模倣を最大の儀式として自らの作為と詐称するような神話の方便にある。
社会の仕組みとはこの模倣系を他に比べ最大の相対的な容量増大へ導く為に、形質の実質的規則を絶え間無くまねあうことである。もしこの一方が他方の形質上の規則を一つのこらず学習すれば、その系が放出しうる外部への混沌度は圧倒的となり結果、生存をめぐる闘争に際して行動を真似されて遺伝順列の入り込む隙間を埋め立てられることはより少なくなる。おそらく異性体である動物の場合、性特徴としてのそれはより大きな混沌化の規則を好んで増大させるだろう。その方がより素早く遺伝配列を寡占できるのだから。一般的複雑性の選好は真似のし難さを最大多数の複製という遺伝項目内での優先順位の順に整列させる為に有用な法則である。減数分裂の規則。染色体は自己以外の塩基配列を持たない→性特徴を配偶子へ優先せよ。それは目次を形成する場合、瑣事を後に書き連ねる方がより調った辞書となり易いのに似ている。
どうしてまねが生じたかという生物学からの問い掛けには、擬似的な閉鎖系の中で持てるあらゆる化学的手段を培養せよと命ぜられる。かならずやそこには生命体という熱的にかなりは整った連鎖反応が見られるだろう。自然が断裂した反応系(引力系の不可逆性を観よ)をかくも豊富に用意しているというのに、なぜにその中へ一つなりとも可逆性を呼び込めなかったと考えるのだろうか。我々同士が続けてABCと書くことがもし奇跡の範畴にあるとするのなら、川が流れることさえも同等に驚愕すべき奇跡に違いない。だがそれらを科学するのは不逞でもなければ頭脳の仕事というに他はない。