2008年8月10日

格差肯定の説

階層間の最大流動性を制度的に保つ限り、如何なる格差も認知されるべきである。

例えば、獣と戯る遊び女が居ると言う。この生命体はいわゆる穢多であるが、憲法がそう呼ぶのを禁じているだけだ。そして国民に最低限度の文化的な生活を権利として与えるのは法律ではあって、人間未満の畜生類にはその獲得義務すら不可能なのは疑いない。
事実上、人間を大規模に死滅させる未知の伝染病に疾患させる多くの元凶は、この種の人倫逸脱が起源であると知るなら、真っ先に亡ぶのは当の悪徳品種なのだから。我々は否応なく淘汰の前提に、劣悪な人品との住み分けを要求するだろう。

富豪が何千億の豪邸を幾つ築こうが世間は非難すべきではない。この邸に宛てがわれた古今建築様式の最高品質が、やがては民衆にとっての常識になるなら寧ろ盛んに散財を煽るべきなのだから。中には歴史遺構が残される場合もあろうか。

 文化にとって殷賑と頽廃とは「相負的な循環」を経営している。前者が高尚を以て後の世を予言する際に、後者は滅びの合図を示して直ぐにも消え去る。
 然し我々は確実な歴史の現象として、優れた文化活動が力強い民族文明に伴い広く伝承されるのと同時に、劣悪な文化活動が外来民族からの必然の「蔑視」を伴い確実に粛清されて行くと予知しても構うまい。これは我が国についても確かに。
格差はなくてはならぬ。ともすればこの種の貴賤の別が明らかな程に、素早く時事に応じた階級転換は可能ならば。
 若しも公家が全国の一律な支配層であったなら今日の日本国の独立もあり得まい。様々な性格に自由な等級の場を分かち与えて置けば、品種はその各々の適所に優る能力を展開させて行くだろう。

格差社会の顕現は均質狂人の集合体がファシズムを待ち構える今日に於いて是非とも望ましいのである。
 注意を要するのは階級固定に繋がる《相続の抜け道》を成るだけ最小化する為の工夫である。
主には『相続税制の堅持』がこの為には必然である。階層固着については種の自律した多様化そのものが妨げられる危険性があり、就いては優等新種よりも旧態墨守の無意味な助長に至らぬとは言えぬからには。