精神分析的臨床経験の成果は症の名称で、一般の肉体の病と区別されるべきだ。単なる抑鬱症状を病気仕立てにして、気晴らしの必要さえ示唆できないという事は、労働者への過労を強いる社会側の疾病でもあるだろう。
全ての精神分析は実証科学の範畴で処理するには余りに時期早尚に思える。どんな薬物依存もホッブズ以来の物質主義の弊害である。精神医学はありえない。それは脳神経医学とは分別されるべきである。故に、精神分析医という事は本来あってはならない筈だ。それは実証主義の立場からは霊媒術の一種と見なす他ない。また精神は肉体全体の組成に関わる概念で、脳の働きとは直接には無関係である。故に、宗教家の倫は脳神経医学とも別個の文化人でなければならない。薬物依存によって宗教を排除する事が医学的救済と診なされるなら、その社会にあっては如何なる信仰も狂信として退けられるであろう。しかしその除菌室内社会には機械類しか住めない。