2008年5月24日

経済系の内外

我々は万有世界に宇宙しか認知しないし今後ともしない。だからその解釈を分析と総合の両面から併せ観るに過ぐ已。観測技術が発達すれば地球外に別途の文明系が豊富に存在すると発見できる。この反証になる前提にはパスカルの賭けしかなかったし今後ともない。当為に向かう亀はどこかの地点で兔を追い抜く、と前提してよい。
 つまり我々は文明系が単一でない自覚から、何れ経済的秩序を地球外部へと開放しなければなるまい。この準備行動としての生態系整理は少なからず脱功利主義を要求する。福祉政策の重要さは少なくとも彼ら人類が成長力としての高い学術性を保つ際に及ぶ。なぜなら技術革新は真理を応用なしえた工学の上でのみ、文化の花を咲かせるのだから。単に利潤の自己目的化はprotestantismやpragmatism未然に、使用者が技術を道具視する衰頽を斉さずに置かない。いいかえれば技術革新の目的観が共有された会社環境にとっての産業革命。もし運よく地球型文明系がもつなら、我々の生活圏はその技術革新性について対惑星外との経済格差に全命題を依拠するだろう。凡そ崇高さに対して畏れの他に懐きうる心情はなく、従って我々に知り得ない文明生態圏は我々自身と全く同じ様に経済交易に際してしか接触する労力を待つまい。なぜなら審美的な好奇心は則ち彼らと我々の経済成長が為には必然。感性を全く異ならせる天才がなければ我々の類型を破格する個性が導き出される潜在力もない。