2008年3月25日

生物学

突然変異による性選択と、環境異変による自然選択とは同じ選択淘汰の側面なり。対して機会浮動、亦は遺伝浮動と幸運生存(Survival of The Luckist)とは、この形状とは別の淘汰圧だと考えられる。選択淘汰が相対論的・確定的なら、こちら側はむしろ量子論的・確率的な淘汰形式である。
 我々はこのような偶発性を含む淘汰形態を仮に運命淘汰と名づけることも出来よう。日常レベルにおいても全く同じ形質の双子がそれぞれに異なる運命を経るのは当に、このような偶然性に由来する。バタフライ効果とは運命淘汰の言い換えでしかなかった。さもなくば遺伝地図の更新そのものはなんら担保されまい。たとえ定式としては遺伝磁針を設け得たにせよ。あらゆる進化と見える違いが生態分化の隔離差延に過ぎぬからには、我々は神の手が天道の是非をもてあそぶと考えるわけにはいくまいし。
 更に、ダーウィンの自然淘汰説を修整して我々は、運命選択説を唱えることができる。淘汰のように見える作用は、実に移くしい生物たちの宿命輪廻に過ぎないからには。