2008年3月2日

東アジア産業の概略

凡そ国際共栄に当たっては貿易縁起を原則と為す。曰く、一国の孤立は分業の邪魔になり、却って人類間の秩序を乱す。例えば某国の単独行動主義は毫も模範に足らず、むしろ自己中心の極度に至って世界中からの顰蹙ものなり。かのような姿勢はいずれ、貿易収支から虐げられる弱者へ深く、怨みを抱かせるのみである。世の為人の為に奉仕せず、ただ私利をむさぼり、共感されない商いは淘汰されてしまう。このような成り上がり素人を我々は成金と呼ぶ。真の富豪は身を粉にして働いてきたし、いやおうなく義侠的である。かれを我々は苦労人と呼ぶ。
 和辻やリカードの国際分業説は一考に値す。各国風土に最適な産業で互いに協力すれば、互恵の関係は自然なりと。が、また今の国連組織が不完全な限り、我々は飽くまでも国家を拠り所として生活していかねばなるまい。従って、完全に産業内容を偏らせ他国へ依存しきることはならない。ともあれ、比較的に得意な分野を国家的産業として伸ばすことは何より悪くならないのだ。弱点の克服は、長所の成長と相関的である。例えば、あるサッカーチームに組織力は充分であれ個性的な攻撃力をもつ人材がいつも欠けていた場合、このチーム全体の戦闘能力を向上させたければ組織力を大事にしながら先ずは、極めて優れたストライカーを抜擢養生する他ない。この為には手段を選ばず、血筋の全く違う助っ人をワントップに置いても構わないくらいだ。競技娯楽である限り、かような采配も戦略のうちだろう。と同じように、日本は少なくとも現代国際においては技術文明を得意としているようである。日本製品の信頼は世界的に堅い。
 ともあれ、この高い技術力を支え、かつ国際福祉に結びつけるには自国のみの流通は必ずしも適さない。優れた製品をあまねく経済流通することが、また最良の国際貢献となるであろう。軍事力を持たないと言うのなら尚更である。武士に二言はあるまい。
 ASEAN市場の規模は、EUが377万人、NAFTAが418万人に対して、遥かに小さな島々へ528万人も存在している。つまり、我々が先んじて彼らの発展を後押しすれば、東アジア市場の繁栄は他の二方を大きく超えるのは必ずや疑いない。好機会を捉えられない人物は勇気がないのだ。
 なお、ASEANと分裂中で手間取る朝鮮に先駆けて深く親交協業を図り、市場提携を深めるのについて注意を要するのは、台湾や日本は台風の風下であるということだ。例えば、Europeにおいてはイギリスの工業化に伴って、偏西風の風下であった北欧は酸性雨に悩み、結果、取り返しのつかない風土的重傷を負ったのであった。これを外部不経済の拡張としての国際公害と呼びうる。美しい自然風景を誇っていたスウェーデンでは、4000もの湖で魚が死絶しなんの生き物も住めなくなり、井戸水は毒素と化している。
 以上の前例を反省するに、ASEAN付近で発生する台風がもたらす汚染大気の拡大を事前に予防するためには、行政先取の活発な提言による排煙脱硫装置の義務付け条約を何らかの貿易差額の福利と引き換えに早速、締結しなければならない。これが最優先事項である。
 と同時に、東アジア圏一帯の風土特性を考慮する限り、何らかの支援さえあれば猛烈な勢いで繁茂しうる旺盛な生命力を秘めた東南アジア諸国にとっては、かれらに得意な産業分野として、日本企業の高度技術知財を利用した勤勉なる軽工業が次第に究められていくであろう。これは既に優れた教育民度を誇る台湾においては更に、かなりの情報産業化を辿るだろう。台湾の美しい自然財源は決して観光立国との両立以外では活かしきれまい。重工業化を推進させてしまっている移入中華民こそ重いのでは。
 そして少なくとも口には含めない限り、命取りの大事にはなりようもない重工業については、大量の単純労働力を抱え込む中国大陸へ世界の大工場へ委託事業として譲るべきだろう。その際のOJTが殆ど教育の行き届かない貧村をも助けるのだから。
 ともあれ、かの国内公害を最小化することは又地球環境の保全である。この為には国際条約と国連監視による、工場の厳重な監理が必要である。仮に多少なりとも流毒の違反を見つければ、これは自称中華民全般の公徳度を考える限り、避けられまいが、即刻、これを企業自身の自重制裁たる賃金封鎖で罰するしかないだろう。およそ寒村に恐ろしい兵器はもちえないのであるから、逆ロックアウト、労働者の締め出しによる仕事の停止は彼らの宗族自身に窮乏をもたらす。従って消極的な愚痴以外で逆らう方法はない。この種の労役鍛錬の繰り返しによる、地味なやりとりだけが彼らに、ほんとうに仕事の大切さ、人々の為に額に汗をかいて働く楽しさを悟らせうるのである。
 なお共産党政府にこの種の問題への制裁能力は期待できない、何より彼らは伝統的に中華民族の中央集権搾取装置なのであるから、幕府の国際不信だけを極度に恐れており、この為に不信を暴く行動を自ら執る可能性はない。共産党政府に関しては飽くまで一応の、お役所仕事的な窓口とだけ考えてよいのである。