2008年3月7日

人間

世代交代とは文化の新陳代謝。これがなければ動植物個体が生殖を通じて多岐化する理由はない。又、同じくnation state間の絶えざる興亡史の理由もなくなるだろう。世界精神とは我々の社会進化論。
 我々は既に時代産業の中枢から遅れた自らの文化を伝統と呼び、恰かも土に還す。それは博物館の肥やしになる。
 この様な脱構の経過の最中にしか、文明と呼びえる人間生態系は存在し得ない。我々の競争心が文明を進歩させる根源因なのは明らかである。我々は努力という方法で、その効率を常に技術革新させ続けている。これがある時、まるで寄生ないしは共生のように映るとしてあれ、その様な関係は不変ではなく、産業構造の変化は避けらない以上、巧く人間から隠れ僻地の野蛮人に返らない限りは、いずれ淘汰される。
 人間では絶えず生まれくる自らを時代環境へ適応させるしかない。さもなければ、その様な努力を怠った民族は、人類国家間の生態的地位を卑しめられるのが必須。
 人間は平和的に振る舞う能力を、生態的にしか与えられていない。言い換えれば我々は生態的にしか共生なしえまい。それは決して我々が生物以外ではないこと已を意味する。こうして、経済は功利と福祉の均衡関係を様々に工夫することで我々の産業を高度化し続けている。我々はそれを活かしながら適応するべきで、逃避してはならない。なぜならこの経済力によってしか、我々は人類内でさえ生き残ることができないから。そして経済力とは即ち、時代環境への適応性、それは不易流行の産業構造を常に転覆建設していく様な、人間の創意工夫が生み出す普遍の競合状態である。