2008年3月7日

世代福祉の法

人類が文明を没落させた最も典型的な事例はみな、階級拘束にある。階級流動が文明に新陳代謝を斉す原理なのは明らかなことだ。活力は若芽の伸びしろを老賢な配慮で利用する時に萌え出す。例えばsports businessはこのような仕組みを巧みに内部経済化した例示だろう。
 敬老精神は我々が世代間共生を図る為の智恵であり、此を経済化するには尚且つ創意工夫を要する。産業構造の刷新速度は速まることがあって遅れはしないのは、entropy増大則に適う。同時代にあれど伝統芸能と先端産業が住み分けしなければ文明間衝突は防ぎきれないだろう。是が生み出す無駄は国家を倒す危険性すらあるに違いない、恰かも老人趣味の我が侭で一冒険企業家を貶めて世界中の先端産業から一世紀の遅れを執るように。
 よって、経済関係を通じてしか我々は決して世代間共生を図る道を持たないだろう。経済社会において介護は金銭以外では容易に買えないように、人間が経済人たる限り、閑暇を老幼保養に奉仕させるにも随分と費用が要るだろう。
 にも関わらず、階級流動と世代交代を協調させるには、我々は金銭関係以外によっては拡がることがあって縮まらない時代意識を互恵的に媒介なし能わないだろう。単なるserviceや奉仕の枠内で、我々は如何にも巧みにそのような冷血な関係を幾重にも覆い隠す企業競争を怠るまい。
 ともあれ、もしもまともな金銭を持たない老人があれば、彼らは身近な温情を頼るしかない。このような共同体環境の辛うじて残るのは大体において、若者が完全に流出しきらない地方の市町村でしかないだろう。要するに、彼らはどの世でも因果の網に囚われる。経済力はまるでその功徳の程を推し量る指標の様に機能している。これが飽くまで厳密でないのは、人間の中庸性が人間を差延し続ける時代環境に適正である理由だから。然らば政治的調整の必要も又不変となる。