鈴木雄介ブログ
2008年3月21日
思索としての理性の限度
人間中心思想はあらゆる認識誤謬の原因。カントの考えると異なり、人間以外の様々な生き物より生存価値があるべき実証法が理性の外部にない以上、人間はまた自然の育む枝葉の末節としてしか捉えきれない。彼らの生態地位がすなわち価値等級だとは言われない。
理性は人間の特徴以上の能力ではない。
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