2008年1月18日

審美論

全ての発明は文明への履行の最中に発見される。必要に即した技能がそれを呼ぶから。
 完全美は宇宙そのものに帰する。万物はそれ自体が合目的。例え比較的醜いものでさえ、比較的美しいものを見当する為の役割を果たすが故に美しい。崇高は我々が知覚しうる最高美に他ならない。宇宙は遍く崇高である。そして我々が芸術的と見なす可ものは宇宙における文明形態に過ぎない。現代人類にとっては地球文明的なものこそ最も芸術的と呼ばれる。しかし未来人類にとっては必ずしもそうではないだろう。
 生物美が合自然的なものであるならば、人間美は合社会的なものに帰着する。人間美は生物美そのものでは必ずしも無い。カントがsymmetryを美の規範と考えたような事は自然美の範囲に属し、決して芸術美の側にはあるまい。人間の再創造物は自然美の抽象だから、その制作概念さえ我々の感情的抽象に基づかなければならない。例えば自然にとっては非合理でしかない弱く儚いものが美しい事も、人間においては合理的でありうる。社交性の洗練は必ずしも競争力に比例しないのだから。