2007年11月12日

国際国家論

文明は人間適応力のための機構。

 文明は幾多の天才を育み、人類独自の特性を益々伸長させて行く。
 個々人の生存確率の向上のためには、文明を養うしかない。なぜなら安全率の高さは個体同士を均質化すると同時に、集団全体を智徳増進することで図られる。文明はこの両面、均質圧と格差弁に働く。

 人間は他のどんな動物とも同じように、個体数を優位の条件としない。代わりに生存環境の安全性が優位なほど、個体数を減らす。彼らの同種間の優位は国家的安泰により計られる。
 人間は文明度が高まるほど個体数を減らす。その方が集団が安定だから。

 人間は人口を殖やす為に格差弁を弛める。結果的に下流は殖え、上流は減る。これは国際間でも真実。ある産業形態に必要な人員に最適化した人口密度が、国家ごとにある。
 逆に、均質圧が強ければ強いほど、人口は減少の傾向をとる。一夫一妻的な秩序の中で子孫を平均化するために同程度の教育を施し、結果として国民間に1、2人の子供を推奨するから。

 労働者が少なくて済む産業形態に向かっては均質圧を強め、労働者が沢山要る場面に対しては格差弁を弛めるべきだ。いずれにせよ、中流最多の原則を得る、それがなければ多数決の原理は有効さを失うのだから。

 国際関係の安定を計るには経済力の均衡を軍事的縄張り圏内において確実化し続けねばならない。たとえば、アメリカは孤立主義の可能な資源富裕国土で、その世界経済にもたらす影響は覇権と相まって量り知れない。WW2は事実上、世界恐慌が引き金になった。にも関わらずアメリカは戦場にならなかった。閉鎖貿易を敷いたそこが国際経済の均衡上に安定だったから。逆に、輸入資源に頼る枢軸国は無理に膨張政策を執る他、窒息死を免れる方法はなかった。

 その教訓を活かせば、国家経済は「多元均衡」を前提に図られるを得る。一国依存は大変に危険。貿易ブロックの可能性を考慮しても、特に化石燃料の自然資源に劣る国は何らかの仕方で大国と連合を謀るべきだ。
 完全な自給自足への努力は必ずしも理想ではない。ある国家には民族風土つまり文化に由来した特有の分業能率が存在するのであり、その特産性を活かして国際貢献するのが全うな国民経済の筋。よって、自給率は国家それぞれの多元均衡の具合と共にbalanceされてこそ功を奏する; 国の家計。たとえば、赤道直下の国から持続的な思考が必要な理論科学成果が期待できる、と言うことはできない。代わりに、その肥沃な土地を生かして栽培した作物を国連関税の方針に従って輸出することができる。そして両者の生産性は自給率と多元均衡にとって世界経済的には等価。Aの生産能率はBの生産能率より高い。

 しかし現状では、武力威嚇によって産品の希少性は株式市場から統制的につくりだされ、国家間に不平等な値で取引されている。この不均衡を調整するには、是非とも国連経済庁の介入が必要となる。そして関税方針を平等で公平なものに揺り戻してこそ、万国の個性豊かな育成が健全に可能。