2007年5月19日

趣味論

知情意あるいは真善美の如き諸情緒間に仮構の分断を設くは破格の方便たるのみ。決して癒着自体が正道たりえず、又分離そのものが目的に非ず。豈唯、それらの自律分散かつ平均程度向上展開の便利たる已。
 乃ち、同時代における平均文明つまり常識、の程度が進展するにあたって、これら仮の分散に限度の上昇があるに等し。もし仮に分離せずせば解剖学に方途なく、社会不正を勧善懲悪に従ひて暴く傑作文面に形式論已から迫害加えられ益々醜悪の増長を許すが如し。
 同時代にて許さるべき表現の自由は常識に頼りて極端な差し支えなき最低限度以上の域に規制限るべし。やみくもな情緒分断はその極端な癒着と共に後生へ悪例を開くのみ。乃ち各趣味論によるよしあし評論の目的、この限度に適当の幅をどれだけ許すかの良識養成が為にあれ。