2007年5月31日

千尋論

日本の未来やちよの先々を期するに、決してゆるがせできぬ絶対死守の至宝は万世一系の天皇血統にあり。皇統純血主義はこの為が自然なり。もし天皇家系に血統独特の特徴を失う時は、それいわんや国家の滅亡なり。滅亡をよしとするときは全世界から国家共同体を排除するとき、乃ち文明太平万人一家の有り様にて到底現生人類の夢想だにせぬ遥か永遠なる旅路の終局楽天地以降なり。
 なれば天皇血統はこれを死守するに際し、全国民の命を全然犠牲にしてもなんら一切足らぬものと定めてすら寿なり。されど実際、以上神風の仮定は飽くまで机上の命題に過ぎず。試みに想像せよもし一億全員総死闘の波乱ありてもこれを組み伏せうる勢力地上になし。あれば天変地異のみなり。天命は人事の関するところにあらず。従って人間に限ってはこのような激烈の修羅場は全くありえぬものなり。すべて戦争とは理知欠落血気過剰のあまり命知らずに悶ゆる馬鹿軍人類の下等遊戯にして、我々賢徳文民は呑気安心して尚も高潔世論を進めて考慮せんや。これを例えば潮干狩りに行きて夢中で蟹とたわむる幼な児をしりめにさっさと蜆を集める海女のごとし。
 福澤『文明論之概略』巻の一に国家概論あり。曰く、「国家内に人心、政令、物質の区別あり。前者は難し後者は易しと云えり。また詳細にみてこのうちの政令に政権、国体、血統の区別あり。概覧のばあい同様に前者は難く後者は易し。難先易後は文明正順なり。なれば国家基幹たる国体こそは国の本なり、血統も政権も此に応じて光を増すものなり」と。さてわれ思うに、国体は国家自体の目的なり。いわゆるnationalityの度合いがすなわち文明人道の初段に違いなし。日人は第二次世界大戦で一旦政権を奪われども国体まで失わず。これを例えば獅子が牙に傷を負うも体も眼も健康そのもののごとし。
 GHQは国連から無情にも分割される以前に利己統治完了を目指して血統を敢えて排せず、国体をもほぼ解体せぬまま政権にアメリカ風の遜色を施して日本人を再び野に放ちたり。1946年1月25日のマッカーサーよりアイゼンハワー宛て電報に曰く日本国民ゲリラ化を防ぐためには象徴天皇制を必要とす、と。山極・中村編『資料日本占領1 天皇制』大月書店より推断可也。これを例えば暴れ狂った獅子の牙をまるく削りてすぐに慌てて檻から解放したるが如く、日本の平和主義はこの新生ライオンのなんともかわいらしき有り様にほかならず。いわばアメリカにしてみれば恐ろしきばかりの猛獣をうまく手なづけて、ペットにしたるが心地ならん。
 されどかくして守られたる国体は初段にして次段にはあらず。国際体・inter-nationalityの様なものは国体の手段化の後に生まれてくる発想なり。やれ余輩の見なすに現代は国家同士の協力模索の時勢なり。EUは先んじてこれを仮設したり。もし国家と地域連合を互角すれば必ず単独の敗れること、孤立カマキリが大群を有した蟻やバッタやトンボ連携の四面楚歌にたじろぐが如し。
 今、アメリカ・日本・EUは世界資本の大部分を専有する経済大国なれば又、三者の進退は地球社会の命運を左右する筈は、ちょうど三財閥の威光が政運さえ扇いだ時代の体なり。要するに、日本は血統を温めて国益を知る君国並立の国体にして、俗論者の謬説に鋒あやまる血統解体の惑溺醜誘は、あたかも生き身の眼を潰して体や牙の節制養生にせんとするが如き失笑憐憫のまゆつば医療きどり哉と見なさざるをえず。

 天皇の役割はわが説天才文化律の崇高圧倒の威力の為に長らく血統連綿を利用すべき家系図差別観のみにして、政が神道を敬い遠ざける限り尊き帝の御心配もいらず、ましてや更なる文明のためにはますます彼の神話が偶像化した国土自然の景勝を保全作庭、果ては民情風紀に絶対被差別の立場から無為の求道を励起させる必然の人気を常識揺藍する様孜々努めざるべからず。