2007年4月19日

比較美術論

私は今や東西美術を比較して、東洋のそれに圧倒的軍配を挙げざるを得ない。西洋美術は俗物の盲信するほど貴いものでは決してない。我々は日本の伝統建築にとこという家庭美術館まで完備されていた過去を持っている。西洋ではややも財を成せば何ら合理に値しないゴテゴテとした余計な装飾が溢れて来たし、あるいは極端に走れば何の雅もない冷たい牢屋に暗く閉じ込められて来た。一体彼らから何を学びとれと古人は考えたのだったか。彼らの伝統美術を診よ。裸体になんらの羞恥も抱かぬ野蛮族の下品には全然感心を催せない。寧ろ嘔吐と共にしかめ面で目を背けざるを得ない。地球の浮世にあふれる俗物どもがかの醜悪なまがまがしい物になんの美を見いだすのか知りたくもない。
 日本では、裸体画などという野蛮な物体は作られたこともなければ、仮に町人が奇形を為しても憐れみと共に黙殺されて来た。いわゆる江戸の風俗画に、誰かれもに卑しまれる対象としてかろうじて数幅が棄てられず残存してしまったに過ぎない。
 明治以来の馬鹿どもがあれこれ構わず白人の真似事に逸った罪は全く軽くない。その結果、我々は風土適応性を失い、荒れ果てた猥雑な俗物都市環境だけが残され、すべての高尚な美意識を忘れ去った。ギリシアに由来した西洋美術は反面教師にすべき野蛮の風俗である。