2007年4月24日

男女同権の民主政治的批判

Democraticなコンセプトから彼らは女権をもこの一類種として育んだ。
しかし間接選挙は世論の誘導競争にならざるを得ない。

ここからヒトラー的な〈煽動家〉やソフィスト類の〈詭弁家〉が繁栄するのは疑いない。
市民啓発には独自の限界がある。
 いかなる教育制度によっても女性を男性に仕立て上げることはできず、
従って全体の半数を占める彼女らの票をうるためには、宣伝はみな衆愚化・低俗化の方便を取らざるを得ない。

ある女性は現首相を容姿の好みで応援すると云う。
さすがに男性の中にこのような獣じみた思想で良識の定律を固める輩はそうそう居れまい。
 かような愚物に、貴族と同票が与えられる不条理を回避する為に設らえられるのが間接民主主義的合理化体制だと言えば聞こえはよい。

すなわち、何段階にも世論を議会員選出の「ふるい」にかけて濃し、実践に当る頃には素の愚説の跡形もなく浄化しようという訳だ。

しかし又、このような間接回路が煩雑になるに応じて、尚更衆は〈民化(mobization)〉せざるを得ぬ。
 何しろ、かのごとき政府組織の繁雑化はそのまま、文明市民の衰頽を意味する。
何故かなら民主主義的政治参加が事実上で形骸化するから。

現代民主政の恐るべき堕落は以上のような過程を辿り衆愚政へ向かっているのだ。
孕まれた矛盾は《男女同権の弊害》に有る、と考える事に矛盾はない、と私は考える。


1.政事回路の世論啓発的単純化
2.過剰女権の迫害啓蒙
とは、現代世論政が担うべき二種の必要であれ。