2007年4月11日

年功と忠孝の差

賢愚を構わず老人を崇拝させてきた季節風土型農村道徳則ち忠孝道徳は、東アジア人民の世界史的劣位を強化する役には立った。それは血族を仲介にした家族型封建制度の構築のための思想だった。和を以て尊しと為すという礼記の引用についてもこの農村風紀を強化する役でしかなかった。精々の二毛の稲作で、総掛かり的産業に特化した東アジア民情は儒教ideologyにより権威づけられた。それは神道的寛容を含め国教以外にも余地を残して居れた日本において自主破格可能だった。
 ところで日本の維新後の急激な近代化には武士道が原理づけられると主張する群衆には、その道とやらがたんなる忠義の向け換えだったことを認証するのみ。かれら近代日本人民は、主君に誓った忠誠を愛国心に当てはめる事で後先顧みず先進国入りへ脱皮したのだ。それを維新デビューとからかえる。彼らに残存する忠孝道徳はかつての劣位文明だった日々をつねづね懐疑させるに十分故。肉体格差による弱者へ優しくすることと、社会の権益を年功序列化することには多大な隔絶がある。
 老人の悪魔的上下社会型支配によって、単に捕虜にして用いればよい中国人民を大量に虐殺した過去を覚えよ。ドイツにおいてもこの縦社会の弊害は明らかである。そもそも彼らが持たざる国へ後塵を拝した理由こそ、このような民風の保守性である。ゲルマン民族についても日本民族と同様の単一血統観が国情を保守化し、同時に強固な縦型身分序列を設けることに繋がる。縦型の風紀においては中央集権の必然的腐敗により大王の悪魔的行為がなんら防ぎようが無くなる訳だ。我々は既に神道と日本国、あるいは公明党と創価学会の政教癒着的増長のなかに、再び忠孝道徳の弊害から来るごく腐敗し易い集権化の芽をみいださずにはおかないだろう。