2007年4月24日

自伝

動物園に放り込まれて生涯に何の期待があるのか。古代ギリシア人を真似た理想という暇つぶしですら、最低限の慰めにしかなるまい。知的格差は生存競争の洗練なのだ。勧善懲悪は人間の弱肉強食なのである。彼は文明を歩きながら常に孤独だった。猿どもは次々に繁殖して行った。それに比べると、彼は恰かも終生を子供のままに過ごし得たかの様でさえあった。彼は同類と同然の姿を取りながら一方で何時でも、そこからはみだしてしまった。言うまでもなく、彼は明らかに特別の人間だった。精神分析は心理学的応用を以て、彼らの種的平均を適格として奉り挙げてしまった。
 しかし、私は平均より遥かに昇華的人格を担っていた。繁殖活動にはなんの興味も抱けない個性を彼らは変人として排斥しようと絶えずした。私の知能は、少なからず人間の社会的闘争に由来していた。種内競争は性淘汰を学習の遊戯目的化へ導く。Neoteny化とは人間の地球生態系内最高次消費者への適応的進化の正道だ、と仮説しうるもの。進化の末枝に居て、しかも人類に対する相対比によってしか自分の定義を見出せない個にとって、人生が徒労ではない理由とは彼自身の偉業が地球文明の進歩を揺るぎなく世界の一級へ導く意志にのみ、帰し得たのだったから。