2007年3月27日

幼形化について

終生を精一杯100年と見積もりその内の毎日2、3時間を純粋学習行動に充てるのと、毎日10時間を勉強して20年足らずで不摂生の角で死ぬのとでは能率に差がある。人間がapeに異なるところは享楽的実存に甘んじ得ない現実であり、すべての人はその膨張した頭脳を満足させる為だけにも学ぶのである。従って、古人が主張した中庸の徳に時代を経てもさしたる狂いはない、と仮説するのも不可ではない。
 逆理すれば人が考えるより人間の出来映えはよい、と皮算しても構わない。不埒の倫は頭脳の容量が旧式で低いのである。こういう哀しい個体も基底的になら繁殖しうる理由に、女の知能が又、自然男より低い場合が多いという自然の狡智があるのだろう。本能は理性に反する。我々が抑圧と昇華を公的社会活動の全面に旨とする原因は、大脳新皮質が旧皮質の幹枝であるという文化構造に由来する。よってここに、人間が天文学的破滅に寄らねばなかなか絶滅しない訳もある。人生という完全な戯れの馬鹿げた経験、無駄を際限なく延長したいと願う女は誘惑と母性という方法で生存体系を飽かず確保する。男子というものは時に女性を大いに見下すが、一方ではその恵みに与かる詐欺にドーパミンで騙される。然れど、彼らと来たところで愛情という言い分以外に繁殖の必然を説明し得ないのだから人間は下らないともいえる。