2007年1月4日

現代政治論

現代人は人権平等という理念を功利主義的命題[最大多数の最高幸福、すなわち福祉]
の有力な方法として採用する代わりに、
「選挙」という工夫で改良されたaristocracyを追求しているのだった。

官僚制: bureaucracyはこの内部現象としてあらわれる。

 民主政: democracyが理想的最高段階の政治体制ではない事は以上をもって明らかだ。
それは隠蔽された貴族政である。

もしたんなる民主政、すなわち政策における直接選挙的な傾向をおろかにも追求すれば、
その国家は――Polybiosの政体循環論よろしく――衰退へ向かいやがて滅びるだろう。

衆愚政: mobocracyとは官僚主義が極まった社会体制の名称であり、
そこでは不徳な寡頭的我が侭が進路のすべてに優先するのである。
 事実、公的体制の透明化を徹底する以外のやり方では官僚主義の教派: sect化を防ぎ得ない。

 そして衆愚的煽動を行う似非えせ政治家があらわれた際、
かつ直接民主主義的傾向が不幸にもその国民の理想であったならば、
独裁的全体主義が政党支配的になるのは避けられないだろう。

そのような腐敗した国家体制は、
いかなる伝統を持つのにせよ、
遅かれ早かれ必ずや自滅するだろう。

そして治療策はresetの他ない。
 どうしてかならかような風紀を生み出した民情は万世の士気そのものであり、
一月今夕で変動できるものではないからだ。

衆愚政に陥った国家からは誰であれ急いで亡命するにくはない。

 危険の最大の兆候は《直接民主主義の信仰》にある。
それは現代社会においてはまるで誤りなのだ。
 民主政は王政へのひとつながりの輪であって、容易に退行しうるものである。



 対して一民主国家が文明度を上げるほどに世論政治が可能になる。
現代福祉の理想は世論政: publicracyの中に見出せる。

民主政の名を借りて選挙された貴族政は我々にとって、世論政へ至る途中levelに過ぎない。

もし世論程度の高尚を中庸的民主主義の根本目的に定めるなら、
人類はAristoteles政治哲学への誤解を完全にほどきうるはずである。

公正な間接選挙は福祉のため意見を精選する。
そして人類政治の現代的な理想は、彼ら主権者自身が世論向上を政事目的に定めることによるのである。

寡頭官僚煽動体制による衆愚化を防ぐにはjounalismの勃興の他にいかなる方便もない。
 政治的正義の中枢は報道の自由独立の死守にある。