2006年12月19日

道徳とは

人間関係自体を道具化しようとする意志はあらゆる悪意の中でも一番酷いものだ。にも関わらず、我々自然の本性はこれを競合心として残した。
 他人を利用すること、また究極的には人間関係の総体たる体制を利己的に援用する工夫。これらは他ならぬ倫理として、すべての聖人君子により正当化されて来たのだ。倫理は社会体制への功利的適応条件。我々はもはやこの悪意を普遍的正義と見なさざるを得ない。謂わば倫理は、彼らの社会を時代の産業水準へ整合づける使い捨て思想に過ぎない。我々は道徳を学ぶこと、乃ち哲学する行為を通じて、万人を奴隷化する方法に尚も長ける。たとえば他人を目的として扱うために必要な、愚か者への丁寧な言葉遣いを覚える。と同時に、実はそこから生ずる福祉として、世界中の人民への啓蒙という副産物がもたらされるだろう。
 他人の思想に浴する恩恵とはつまり、学習の伝承。